アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161122
【晴】《21日の続き》
子供のくせに妙に大人っぽい知識があるのは、年の離れた兄達に囲まれて育ったせいだと思う。
たとえ断片的ではあっても、大人の知識のおかげで世界が広く見えた事は確かだった。
だから、たとえこの秘密を気の合った仲間に教えて、一緒に書庫にもぐり込んだとしても、多分宝の持ち腐れになるだけだろうと直感していたので、私はかたくなに口を閉ざして語らなかった。
書庫には書籍だけでなく、沢山の写真も埃まみれで山と積まれていた。
写真の多くは厚い台紙に貼られていたが、細長いアルバムになっているものも相当あった。
そのどれもが写真も台紙もセピア色に変色していて、中にはよく分からない程に色ぬけしているものもあった。
おびただしい写真の大半は明治から大正にかけての記念写真が多く、校舎の落成記念や卒業記念、服装から判断して先生の従軍記念などもあった。
変わったところでは誰かの葬儀を写したもの、仮装大会や学芸会の場面を写したものもあり、見ていて飽きる事がなかった。
写真の一枚一枚に写っている子供達のほとんどは多分もうこの世の人ではないか、生きているとしても相当の年寄りになっているのかと思うと、何かとても神秘的な気分になった。
その時私の手にした写真は、古いもので70年、新しくても40年近い年数が経ったものだった。
今ではとても考えられないが、あの頃はまだ戦後の混乱が少し残っていたのだと思う。
でなければ、あんな不思議な空間が手付かずにあるはずがないのだ。http://www.atelierhakubi.com/
子供のくせに妙に大人っぽい知識があるのは、年の離れた兄達に囲まれて育ったせいだと思う。
たとえ断片的ではあっても、大人の知識のおかげで世界が広く見えた事は確かだった。
だから、たとえこの秘密を気の合った仲間に教えて、一緒に書庫にもぐり込んだとしても、多分宝の持ち腐れになるだけだろうと直感していたので、私はかたくなに口を閉ざして語らなかった。
書庫には書籍だけでなく、沢山の写真も埃まみれで山と積まれていた。
写真の多くは厚い台紙に貼られていたが、細長いアルバムになっているものも相当あった。
そのどれもが写真も台紙もセピア色に変色していて、中にはよく分からない程に色ぬけしているものもあった。
おびただしい写真の大半は明治から大正にかけての記念写真が多く、校舎の落成記念や卒業記念、服装から判断して先生の従軍記念などもあった。
変わったところでは誰かの葬儀を写したもの、仮装大会や学芸会の場面を写したものもあり、見ていて飽きる事がなかった。
写真の一枚一枚に写っている子供達のほとんどは多分もうこの世の人ではないか、生きているとしても相当の年寄りになっているのかと思うと、何かとても神秘的な気分になった。
その時私の手にした写真は、古いもので70年、新しくても40年近い年数が経ったものだった。
今ではとても考えられないが、あの頃はまだ戦後の混乱が少し残っていたのだと思う。
でなければ、あんな不思議な空間が手付かずにあるはずがないのだ。http://www.atelierhakubi.com/