星前回記事の続きです。

 

Somebody To Love 愛にすべてを

作詞作曲 フレディ・マーキュリー

華麗なるレースの6曲目に収録されています。


 

Queenの曲の中で一番好きな曲は何ですか?

一番難しい質問をしているかもしれません。。

気分によっても違うだろうし、良曲がたくさんある中で、一つに絞ることは難しくこんな質問自体が愚問かもしれません真顔汗

 

ですが私は今のところSomebody To Loveが一番好きだと思うという話を、前回の記事に書いています。

(私も一番好きですとコメント下さる方もいて共感でき嬉しく思いますほっこり音譜)

 

なぜかというと言葉では表せない部分もやっぱりあるのですが、私の中で一番フレディらしい曲だと思うことと一番胸が熱くなった曲だからです。

(結局すごく単純な答えになってしまいました・・・)

 

まだ短い期間ですが色んな曲を聴いてみたけれど最終的にはこの曲に帰りたくなってしまうのです。

 

関ジャム(TV番組)でQueen特集があったそうなのですが、それは知らずに完全に見逃していました・・・えーん

妹からあとで「人気ランキングがやっていたよ!」と聞きました。

『1位はSomebody To Loveでしょう?キラキラキラキラ』と聞いたら全然違ったということがありました。笑

ズレてるんですよね・・ちょっと汗

 

1位は王道のWe Will Rock You  2位はWe Are The Champions  3位はボヘミアンラプソディ でした。

それはそうかもしれないな〜あせると聞いて納得しました。

ちなみにSomebody To Loveは9位でした。

 

でもそもそも、このランキングはどこで調査をとったのでしょうか!?

QueenのブログやTwitterを書いている方々、又は見ている方々、生粋のQueenファンの方々にランキングをとったら絶対にもっとマニアックな曲も入ってくる気がするのですが笑い泣き

見てみたい・・すごく気になります。

 

 

本題に入ります。

 

 

"Liar" と "ボヘミアンラプソディ" と "Somebody To Love" は似ている気がします。

 

どれも神(悪魔?人間ではなさそうな分からない何か。)又は内なる声と対話しています。

そして自身に罪の意識を感じ、懺悔して赦しを乞い、

逆ギレしたり開き直ったり、内側にある激しい感情を露わにしています。

 

内なる声に葛藤しジェットコースターのように慌しくその感情は変化していくようです。

聴いているこちらもそれに巻き込まれ飲み込まれていくような感覚になります。

 

その共通点のある3曲を

Liarはロック、ボラプはオペラ、Somebody To Loveはゴスペル

という全く違う形で仕上げているから凄いです。

 

どれもフレディ自身に起こっているもので、フレディの内にあるものを描いている気がするのですが、逃がして(赦して)もらえない恐怖と、強く自分を守らなければその声に飲み込まれてしまいそうなちょっと危うい状態なのが、Liarとボラプ。

(必死に抵抗していますが。)

その声を味方につけ、少しうまく付き合い始めたのがSomebody To Loveという気がします。

 

曲を経るごとに、葛藤に悩む様子がだんだんと昇華されていっている気がします。

 

声の相手も、嘘つきと自分を激しく非難する内なる声、悪魔か見えない何か、であったものがSomebody To Loveでは神様や天使に変わっていきます。

神様や天使でなかったとしても、激しく自分を非難する声は、ここにきて出てこなくなりました。

ママに対する記述も出てきません。

 

そしてこれは偶然だとは思うのですが、音楽のジャンルにしても、ロックという現世的で世俗的なものから始まり、オペラという現世と幻想が混じったような舞台芸術の世界、ゴスペル(福音音楽)という神的な音楽へと移り変わり、そこにも精神的な変化が見られる気がします。

 

 

もう一つの違いですが、

Liarやボラプはその声とどう向き合うか決着がついていない気がするのです。それと自分の意志についてです。

 

・Liarでは

"Now you know you could be dead before they let you...
「いつでも自分で死ぬことができるんだぜ。誰かにやられる前にさ。分かってんだろ...」"

で終わります。自分の意思とは関係なく、一方的に突きつけられて終わり。

 

・ボラプでは
"nothing really matters to me
Anyway the wind blows...

大したことではないさ。なるようになるさ。"

で終わります。自分の意思が入っていますが、結局は考えなかったことにして済まそうとしている感じがあります。

でも何か吹っ切れたような感じもあります。

 

・Somebody To Loveでは

" Can anybody to find me somebody to Love?

愛する人を見つけてくれないか?"

で終わります。今までとは違い、自分には何が必要なのかを知り、そこにブレない意思を強く持っているように感じます。

神にもそうして要求ではないですが、祈りや願いがもしかしたら通じるかもしれない状況になってきたということを感じます。

 

Somebody To Loveは以前の2つの曲のように自分自身に振り回され見失い、逃げ場を失っているのではないと思います。

自身に嘆きながらも受け入れ、前へ進む意思を強く感じられ、悲壮感の中にも強い光や希望が見えるのです。

そして、きっと救われるはずだよ!大丈夫だから!と理由はないですが聞いていて思える曲なのです。

なので、Somebody To Loveが悲しい曲と見たりすることがありますが、そんなことは全然ないと思っていますニコニコ

 

 

フレディは、「自分の曲は消耗品みたいなものだ」とか「深い意味はないよ」と言っていたりしますが、絶対にそんなことはないだろう、と思ってしまいます。(フレディに限っては。勝手に疑って悪いのですが・・。)

 

「消耗品だから」と言うのは確かに、少しわかるのですが。

フレディはきっとその時その時の感情を曲にしていたりして、すぐにその時の気持ちや感情は変わりゆくものだと思うので。

その時にしかない感情や曲なのだろうな、と思います。

ジョンレノンが作るような強いメッセージ性みたいなものもフレディの曲には確かにないような、、フレディの個人的な感情や感性に密接する曲が多いという気がします。

 

「深い意味がない」というのも、確かにそうだとも思えます。私たちにとっては、という意味で。

何か私たちへ伝えたいメッセージがあるわけでもなく、「僕の曲を聞いて深く感じて欲しいとも別に思ってないよ。」という意味でフレディは言っていたのではないかと思いました。

自分の感情や出来事に共感を求めたりは特にはしなかったのではないかと思います。

(もし共感してもらえるなら嬉しいとは思っていたとは思いますが。)

 

きっと当のフレディにとっても曲に深い意味を込めているわけではなく、ただその時の感情を曲にしただけ、なので、そんなことを言うのだろうとも思います。

深い意味がなかったとしても、フレディそのものが深いんだよ・・・と思わざるをえませんが。

フレディ自身が、それはちょっと自覚なしだったのではないか?という気もします。。

 

それとも、曲は自分の深層にある本物の姿を映し出す気がするので、、謙虚でシャイだから自分の本当の姿を知られるようで恥ずかしいとも思って濁していたのかもしれないです。

 

もし仮に、「この曲には深い意味があるんだ」なんて言ったものなら、とことん追求されてしまってフレディは精神的にも疲弊しきってしまっていた気がします。笑

それを逃れるためにそう言っていたというのも考えられるかなと思いました。

それに、意味を知ったところでつまらない奴だと思われたり、曲がつまらないものに変わってしまうかもしれないのも嫌だったのではないかとも思います。

 

Queenみんながそうなのではありますが、非常に謙虚で押し付けがましくないのですよね・・。

だから曲についても、「自分なりの解釈で楽しんで聞いてくれたらいいと思う」と言っているように本当に深い部分にあるフレディの思いはそこにあったから、そんな言い方をしたのだろうなと思っています。

 

こうした自分の暗い部分についても曲にしてしまっていますが、それにより聴き手を落ち込ませたり悲しませたり、フレディはかわいそう、と思われることもフレディは望んでいないことだったのではないかな?と感じます。

 

フレディは人を楽しませることが大好きで、自分にはそれができる人だと分かっていた人だと思うので、だからこそ「深い意味はないんだから、エンターテイメントとして楽しく聞いてくれよ。自分の作る曲でみんなを楽しませたい。」と聴き手の私たちへも言いたかったのではないかなぁ、と思っています。

 

 

大変長くなりましたがレビューは終わります。

 

3つに渡る記事となり、ブライアン博士ばりの超長文にお付き合い下さり本当にありがとうございました。

 

④ライブや映像のまとめ

に続きます。

 

多分書き尽くしたと思いますが、また何か思いついたら⑤をいつか作ることがあるのかもしれません。笑

わかりません。