年末年始

田舎には帰省しませんでした










ベランダから富士山を見ていた元旦






昨年の秋

1人帰省した夫が

私の実家の両親に

定年時期を2年早めた事

そして退職後

私が

2拠点での生活を始めたいと計画中

である事を伝えました






するとね

それから

母からの連絡がいっさい無くなりました。

うすうすは感じていた私の計画も

はっきりと聞く事により

落胆したんだと思います





本当に連絡をしてこなくなりました





意外だっような

納得のような…





その後も

こちらからは

変わる事なく

父には電話を

母にはラインを

送っていました




でもね

そのラインに

よこす返事は

よそよそしさ満載です





最初は

そうだろうね

とか

こんちくちょう

とか思いつつも

ホッとした気持ちがあったのも事実です





それから数ヶ月

それはいまも続いていています





時間が経つにつれ

親不孝をしている私から

見限られたの私?に

変わっていき

あれほど

距離をとりたかったのに

依存から離れたかったのに 

待ち望んだ距離感じゃないんじゃなきの?

気持ちが予想外の反応を見せました






目を背けていた

後ろめたさがどんどん

わき出てきた感じです





そんなお正月

実家の両親のもとには

妹、弟、姪っ子たちが

集まり賑やかに過ごしたようです




私が田舎にいた頃は

揃って集まる事もほとんどなく 

姪っ子たちも帰ってくる事は

数えるほどでしたので

驚きました





転居により

私と母の距離が離れた事で

妹弟や姪たちも

何かを感じたのかもしれません





なんだかね

拍子抜けしました

そして

その時

「あっ!

私がいなくても大丈夫なんだ」

やっと気づきました





ホッとし

大袈裟に言うと

肩の荷がおりた感じなのです




母の中にあった

際限のない

長女の役目を果たすのに

ムキになっていた私

その要求を果たせない私に

苛立ちをぶつけていた母





今思えば

ファイテンングポーズで

常に戦いモードだった2人です





私がいなくても

妹弟がいると実感した母と

私がいなくてても

大丈夫だと実感した私





今度会う時は

腕を下ろして

無理にではなく

感謝とともに

「お母さん」と言えるかしら





春以降

乞うご期待