天に色あり、地に宙あり
確か大学の時にも一度友人に指摘された気がするけど、外を歩いている時は、空を見上げることが多い。まるっきり反対のことを小学の時に指摘された記憶もあって、「いつも下向いて歩いてるよね」みたいなことを言われたことを、何故だか未だによく憶えている。別に、いじめられていたとか、悲しかったとか、そういう訳ではなく。下を向いて歩くのが癖だったのだと、こちらはぼんやりと憶えている。これは人に余計な心配を掛けるかもしれない姿勢なのだと、幼心にそう感じ取って、それを言われてから、意識して顔を上げて歩くようになった。それが今では、正面を過ぎて、首を上げて空を見上げるのが癖になってしまった。まあ、とりあえずは。もう何回この日記で書いたかも憶えてないけど、空を見上げるのが好きだということ。空は毎日表情が変わるから、見てて飽きないのがひとつ。一日の中でもくるくると表情が変わるのも、飽きないのに拍車をかけている。春夏秋冬、微妙に全体の雰囲気が変わっていくのも。そして何より、単純に、ただ首をちょいと上に持ち上げるだけで楽しめるので、ただただ、楽。金も時間もかからない、場所もとらない。その空間を自由意思で動き回るという願いは決して叶わないだろうけど、まあ、それはごくごくたまに、夢の中でできるし。空の話をしたいけど、それは夕方の話だから、まず今朝の話をしたい。今朝は雨模様で、傘を差して職場へ歩いていた。いつもの気に入りの小径を抜ける手前に、豆粒よりも小さいくらいの、極小の白い花がコンクリートの地面に落ちて散らばっていた。小径の入り口に生えている木の花ね。きっと金木犀みたく、小さな花が寄り集まって咲く木なんじゃなかろうか。濡れた黒いコンクリートに散らばる小さな小さな白い花を見て、ああ、夜の星空のようだと、心が少しばかり弾んだ。足元に宇宙があるのも悪くない。小径の反対側には青紫の紫陽花が咲いていて、その風景を何故だか――そう、なぜだか、夢で見たい、と思ったのだ。夢のようだ、ではなく、夢でここを歩きたい、と思った。夢の中の感覚が恋しいのかもしれない。(ほんの少し、危機感を感じた)その小径は自分にとっての大変な気に入りの径で、雨の日の今日も最高だった。高い木々のトンネルの出口は明るい。地面の落ち葉が作る影のアートが非常に見事で、ほぼ毎日、このトンネルを通る度にMPが満たされる。ゲームでいうとこの自動回復ポイントみたいな。ICOでいうアレだ、石のソファ。そんで空の話は夕方の方で、昨日急に、「そうだ、塩麴使って鶏肉をいい感じに蒸した何かを作ろう」と思い立ったので、実験の待ち時間の間に近くのスーパーへと買い出しに出掛けました。職業柄、平日に空が明るい内に帰れる日は一年の中で5日あるかどうかくらいなので、平日に夕方の空を見上げる機会はなかなかレアである。夕方には雨も上がっていて、虹は出ていなかったけど、昏めの青と灰色の中間のような色合いの中に、夕焼けの赤が水彩絵の具のように混じっていて、その全体が薄い雲でぼやっとしていて、ああ、本当にいい色だと、しみじみ眺めてしまった。この時間の空を見れない職業を選んだのは自分だし、そこはしゃーないと思っているけれど、惜しいな、と思う。休日に見ればいいんですよ。それだけの話。それだけでも最高だった涼やかな夕焼けの空に、空高く、遠く遠く、飛んでいく二羽の鳥の、黒いシルエット。たぶんシルエットからして、鷺系だろうけど。見上げながら、鳥ってあんな高い所を飛ぶんだなあ、と馬鹿みたいに感心してしまった。二羽が少し離れて、並んで飛んでいった。あんな高い所、上も下も右も左も、ただひたすら何もない空間が広がるだけの場所を、どうして迷わず飛んでいけるんだろう、あの二羽には、目的地が見えているんだろうか。天蓋の幕を燃やすでもなく、静かに互いを溶かしあう青と赤の空の中で、きっと、翼を並べるお互いの存在が心底頼もしいだろうと。何となく、心が緩んだ。尚、一昨日購入したズッキーニが今日行った店の方が大分安くて、思わず顔を覆って天井を仰いだ。(買った