一応、日記なので最近の出来事を書いてみる。

実は先週から入院していた親父殿が、昨日退院してきた。

まあ入院といってもそんな大事ではなく、

大事になるかもしれなかったけれど結局大事になりそうでは無いので、

ひとまず退院してきたらしい。

 

まあ以前からずっと調子悪そうにはしていたので、

個人的にはふーん、という感想以上のものは出て来なかった。

そう、自分でもビックリするくらい何の感情も出て来なかったのだ。

最も近しい身内に対する感情がそれか、というのが悲しくもあり、

安心したところでもある、というのが正直なところ。

 

入院することになった、と職場の昼休みに確認したLINEで見た時も、

ふーん。そう。っていうだけで。

まあ、これまでの様子から、命に関わるほどではないだろう、

という自信があったから、というのはあるかもしれない。

でも父親が実際に入院してみて、別段家のことは何の問題もなく、

普段通りに仕事へ行き、結局見舞いも一度も行かず、

これでもしも、ある日突然「危篤だからすぐに病院へ来い」と電話が来ても、

あ、そう。じゃあ行くわ。

くらいの感覚しかなさそうだな、というのがリアルに実感できてしまった感はある。

 

ここまで自分の心は冷めてしまったのか、という一抹の不安と、

いざという時が来ても問題なさそうだな、と安心したのと。その両方がある。

 

自分としてはさ、親が入院ってなったら、流石にちょっとくらい動揺するかな、

とか予想してたんだけど。

全然だったわ。自分で自分にビックリだわ。

これが母さんだったらまた全然違うと思うけど。父さんだからね。

そう、見舞いに行かなかったのも父さんだからであって、

これが母さんなら足繁く通うと思う。

母さんはそういう人だから。

父さんはそういう人ではないので。

 

あなたは親の見舞いに行ったことがあるか?と問えば答えに窮するであろう人なので、

私もあなたの見舞いには行かない。

私は心が狭い人間なので、与えてくれない人には与えない。

ああ、見舞いに行かなくても後悔しないな、と。

今回のことで逆に自信がついてしまった。

なぜなら、現時点で既に親孝行をしているという絶対的な自信があるから。

周りからどう言われようが、自分の中では満足だ。

 

自分のやりたいことを捨てて、実家に戻ってきて、良かったなと思えた。

どうやら自分は、既にいつ見送ってもいい状態になっているらしい。

今回の件で、それを確認できたのは良かったな。

 

ただ、なんかこう、

人間としてどうなのか、っていう、欠片のような極小サイズの不安はあるのよな。

私の他者に対する感情はここまで冷え切ってしまったのか。

でも、祖母が亡くなった時は途方もなく悲しかった。

元ラボの方があまりに早く逝ってしまった時、涙が止まらなかった。

 

あの頃の自分は、まだ自分の中にいるのだろうか。