今日はランチに付き合って〜と言われたので、それまでのんびりしている
平日休みを有り難く享受している訳だが。
最近全く話を書いていない、というか、もう大分諦めの境地になり、
次の話はもう何かしらのアイデアが降ってこない限り書くのは止めよう(苦しいだけだから)、と思っていたんだが、
久し振りにネタ帳でも見返してみるか〜と思って開いてみたら、
自分にはあるまじき詳しさで各話と全体の流れのプロットが書いてあった。
え、なんでこれで書いてないの??馬鹿か????
という衝撃を覚えるレベルだった。
でもここまで書いていて書かなかったということは、
当時の自分はこの流れに納得出来なかったんだろうな。
確かに各話の重みがでかいし、正直「書くのめんど大変そうだなァ…」と思ってしまうような内容ではある。
しかし時間を置いてまた見てみると、以前はかなり気に食わないような気がしたけど、別段そんな悪くもないんでないか?と思えてしまうから不思議なものである。
まあ、書けない部分があるから忌避してたのだろうね、たぶん。
それは今も書けないし、書くならどう書けばええねんと思っている所ではある。
そこを上手く解決しないと、このプロットがあっても書けないままなんだろう。
難しいよ、平和な国で平和な環境で五体満足に生きてきた人には。
人種差別とか、それ以外のあらゆる差別とか、国同士に限らず国内の対立とかに巻き込まれることもなく、大きな病気とか怪我もなく、大事故にも大災害にも遭わずに生きてきた人間が、そういうのを書こうとしたら、結局全部想像だもん。
本や資料を読んだりとか、人伝に聞くこともできるけど、
体験と伝聞は明らかに違うし、それが同一になることは決してない。
百聞は一見にしかず、だよね。永遠に。
自分の目で捉えることがいかに難しく大切なことか、毎度痛感している。まったく。
それでも、聞いたり読んだりすればリアルに少しは近付くことはできる。
まあ、お話にどこまでリアルを求めるのか、求められるのか、っていう判断自体がそもそも出来てないんだから、その時点で大して悩む必要もないんじゃないかって気もするけど。