昨日の今日ですけど。
勢いで昨日の夜観に行きました、例の『 君たちはどう生きるか』。
うん…まあ、理由は色々あるけど、
「何かを得たい」っつーのが大きい所なのかなぁ…。
最近創作の方がからっきしなのでね。
もうこうなったら、気になる漫画片っ端から買い漁るかー?ってくらい、
というか、本来はそうだったのだけど、
そういえば最近全然開拓してないなぁと自覚したり(今更
趣味の為には金を惜しまない、それがモットーな人生だったハズなんだ…
なんか作った本人も一部よくわからんって言ってるらしいし、
観に行った人たちもよくわからんって大体言ってるし、
きっと自分にも理解はできんのだろう、と思いつつ、
でも観に行ったら、何かしらは得られるのだろうと。
そりゃそうよ。ゼロとイチは違うもの。
理解できなくてもいい、彼の作ったものを一目観ておくだけで、
今すぐじゃなくてもいい、きっといつか、自分の中で形に育つものの種か何かができるんじゃないかって。
そういう期待を持った、ていうのが、観に行った一番の理由かなあ。
まあ、年齢的にもね。本人がどう考えてるのかは知らんけど、
最後の作品になるのかもしれないし。
それなら尚更、自称でも自己満足でも一応クリエイターの一人である自分としては、
そして子供の頃からジブリを観て育った人間としてはさ、
その作品を観ておきたいと思ったのよ。
それが第二の理由かな。
まあ、理解できなかったけどな!!(笑
自分でも吃驚するくらい、観てる間中ずっと真顔だったし、
いつもレイトショー観終わった後はさ、興奮と感動の嵐に浸りながら、一人テンション爆上がりで深夜の田舎道を運転して帰るんだけど。
全く無かったね、そういうの。運転してる間もずっと真顔だった(笑
すん……としてずっと黙ったまま運転してた。
なんかそういう、情動的な熱が全く生まれなかった。
感動とか、喜びとか悲しみとか、そういうのが湧かなかった。
でも、つまらないという訳でもなかった。
完全に個人的な感想だけど、感動はしなかったのよ。
面白いかと言われたらそうでなし、じゃあつまらないかと言われたらそれも違う。
きっと、そんなことを目指して創られたものじゃないんじゃないかなあ。
刺さるかって言われたら刺さらなかったよ、私には。
でもあるシーンを観て、ああ、きっとそういうことなんだな、って納得はした。
全くの勘違いかもしれんけどね。自分はそう理解したのよ。
何故だか、そこだけはやたらはっきりと。
あとはそうだな、帰りの車の中でずっと考えてたことがあって。
だから真顔だったんだよな、きっと(笑
そこでまた、自分の想像力の足りなさをひしひしと感じて、打ち拉がれた感じ。
幸せな環境で生きてきた人間の恐ろしさというか、醜さを知った気分。
それを学べただけでも恩の字だなあと。
うん…なんか、観て来たものを咀嚼したくて書いたけど、
やっぱり書いて良かったな。
例のシーンを観れただけでも良かったなあって思うし。
きっと、いつか自分の中で何か形あるものに育ってくれると思うのだ。
宮崎監督はそんな風に、人々の心に種を蒔いてくれたのだと思うのよ。
うちは親もその親も教員だから、当然のように書籍の「君たちはどう生きるか」も置いてある。し、自分も昔読んだ。内容全部忘れたけど…。
また読み直してみようかなーと思った。
じいちゃんの本だから、主人公の気持ちは何となく解ったなあ。
あとは、そうだね。
何となく、これでジブリは卒業かなぁ、と感じたことかな。
もちろん、自分が人生で一番好きなアニメ映画はラピュタだし、そこはきっとこの先も変わることはないと思うけど、
この先新しいジブリの作品を観ることは、少なくとも映画館で観ることは、
きっともう無いんじゃないかな。
精神的なものなんだろうけど、何なんだろね。大人になっちゃったのかなあ。
大人っつうか、年寄りになったのかねえ。
ただ楽しむだけの純粋さが無くなったのかも。
それとも、ただ楽しむだけの作品じゃなくなったから、
ただ楽しむだけの純粋さを作品に求めてる、そういう我儘なのかも。
ま、単に合う合わないの問題かもしれんけどね。
そういう意味でも、今回の作品を観に行って良かったと思うよ。
自分の中の区切りとしてもね。
正確な真意を受け取ることはきっと誰にもできないことなんだろうけど、
何かしらを確かに受け取ったから。それで満足。
少なくとも自分が死ぬまでは、彼の意思の欠片が自分の中にあるわけだし、
作品を観た多くの人々の中にも蒔かれている訳だしね。
大きいよなあ、本当に。
はー、大きすぎて悔しい気持ちも湧いてこねぇわ。