高校時代の友人がめでたく結婚すると言うので、
金曜夜は地元近くの街に集まって、久し振りに友人達と飲んできました。
昔の友人と話してると、まあ大抵そうだとは思うんですけど、
思い出話に花が咲く、てなもんで。いやー楽しかったですね。
ただ、あれ?と思ったのが、
どうやら、自分は自分が感じていたよりも、爆速で忘れているということで。
え?憶えてないの?
こういうことあったじゃん?こういう人がいたじゃん?
ていうか、自分のクラスも憶えてないのかよ!
同じクラスだったの、憶えてる?憶えてるよね?流石にね??
云々。
自分からすると、そんなことあった?そうだっけ?
ああ、そんなことはあったような、なかったような。
て言うか、君達よく憶えてるな、と。感心するばかり。
友人達が、そっかー、忘れちゃったのかー。
と、少し残念そうにしていたのを見て、
じゃあ結婚式で、と別れた後に、ゆっくり思い返して、少し考えた。
そして思ったのは、例えば誰かと久し振りに会った時、
忘れられている、という可能性を考えたことがなかった、ということ。
確かに、当然憶えているものと、久し振りだと声を掛けて、
誰だっけ?と言われたら、それはショックだろう。
そう考えて、少しばかり反省した。
その可能性を考えなかったのは、たぶん、
自分を忘れているかもしれない人物に、自分から声を掛ける状況が想像できなかったからだと思う。
自分を忘れているかもしれない人物というのは、きっと、少なくとも数年レベルで連絡を取り合っていないのだろうし、お互い興味が無いんだろうから、お互い忘れているだろうし、それでショックを受けることはないと、そう思う。
そういう辺りが、記憶の風化を加速させているのかもしれない。
高校も、大学も、すごく楽しかった。これは間違いない。
高校でも大学でもいい仲間と、いい先生と出会って、楽しくて仕方がなくて、
充実していて、満ち足りた生活だったと、それは断言できる。
けれど、今回のことを考えながら気が付いたのは、
大学の記憶も大分風化してきたな、ということ。
それは、故意にやってる部分も若干あるけれど、
「楽しかった」という漠然とした感覚以外が、ぼやけてきているな、と。
まあ、そのことは残念ではあるけれど、
幸い、このブログは大学時代から続けているから、過去の記事を読めばいいし、
自分としては特に流れに抗う気も無いし、もう歳だし、と諦めている。
自分には自分の愛でる世界があるから、
自分の、ただでさえ少なそうな頭の容量的に、仕事と、家族と、趣味のことで一杯だから、
深い人付き合いは、今後ますます絞っていった方が、
自分にも相手のためにもいいんじゃないかと、そう思っている。
もちろん、仕事上での付き合いはどうしたって必要になるから、
そういう、どちらかと言えば浅く広くな所の容量も、空けておかないといけないし。
人との付き合いは大事なものだと理解しているし、
それを痛感することは割と多いし、刺激にもなるし、
一人が好きなのは変わらないけれど、人と話すのは嫌いではないし、
これからも、出会いは大事にしたいと思っている。
そして新しい人と出会う分、
まめに連絡でも取り合っていない限り、過去の人のことは忘れていくんだろう。
それは自然だと思うし、必然だとも思うし、
忘れたくないと、抗いたくなることもきっとこれからあるんだろうけど。
今は、流れに身を任せるままでもいいかな、と。