たまに、自分がどういう人間か、っていうことを顧みることがある。

省みる、の方が正しいか。いや、再確認と言うか。

自分はこういう人間だよな、という、確認みたいなもの。

 

いや、その。

話を考える上でもそうだし、他人様の話を読んでる上でもそう思うけど。

他人様もそうなんだな、とよく思うんだけど。

何で、そんなに虐めたいのかね?とは、割といつも思うことだったりする。

 

自分としては、これは人間としてダメな方向のやつで、

性癖的なものなんじゃないかと思っていたけど。

勿論、現実でそんな酷いことがあったら嫌だし、できることなら、なるべくなら、そんな苦しみを味わうこともなく、安らかに生きていたい。

まあ物騒な話と言えば、

どっかの誰かに「殺してやる」なんて、割とマジに面と向かって言われた経験があるくらいで、

ああはいそうですか、じゃああんたが自分を殺そうとする時は自分もあんたを殺してやりますね、くらいには思っているけど、その程度な訳で。

 

だから、これは自分の中の抑圧されてる欲求、のようなもの?

なんじゃないかと、昔からボンヤリ考えていた。

勿論、アッチの世界の子供達は、どいつもこいつも自分の理想を詰め込んでる感はある。

全員が全員、自分にとっての憧れとか、なれない自分とか、そういう要素を少なからず持っている。

それはそれとして、何だってこうも、彼等を虐め抜きたいのか。

その理由が、自分には正直はっきり解っていない。

 

ずっと加虐心だと思っていた。他人の不幸は何とやら、ってヤツ。

リアルの方は、割と他人の幸福を喜ぶ性格で。まあその根底には、正直他人のことはどうでもよくって、別に不幸でも幸福でも、自分に影響が無ければどっちでもいいけれど、どっちでもいいなら幸福な方がいいじゃん、ていう。その程度で。

まあ、普段はそこまで頭が回らない、単純な脳ミソなので、

わーい!やった!って言われたら、わーい!やったじゃん!

て返すような、超絶短絡思考回路の人間なので、

大体他人の幸福は嬉しく感じている。いいじゃん、幸せなことはいいことだ。

 

だから基本的に、アッチの世界に生きてる連中も幸せなんだけど、

幸せに生きるだけなのは、許さないと言うか。

絶対不幸を背負わせるマンみたいな、そんな書き手になってる自覚は多分にある。

 

他人様はどういう理由なのか知らんけど、自分的には、

連中の苦しむ姿が見たいから。

泣いて、膝をついて、絶望する顔が見たいから。

大事なものを失って、壊されて、打ちひしがれる姿が、見たい。

 

ああ、

表には出さないようにしているけれど、大分クズい人間だよなあと、

こういう気持ちを再確認する度に、しみじみ思う訳で。

常識人ぶっている割には(変人とはよく言われるけど)、胸の内ではそんなことを考えている、笑いながら連中にとっての家族や友人や恩人を片っ端から嬲り殺していくような、

その人が誰かにとっての大切であればあるほど楽しい、みたいな。

だってさあ、大切であればあるほど、必死で守ろうとする訳で。

その必死さにもゾクゾクするし、

結局守り切れなかった時の絶望感よ。

大切であればあるほど、失った時の悲しみが大きい訳で。

それで、そんだけ大切な人は、勿論自分にとっても大切な訳で。

アッチの世界で悲しむそいつと一緒に、自分もざっくりと心を抉られて傷付いて、

どうしてこんな話を考えてしまったんだろう、こんな展開にしてしまったんだろうと、

泣いて、悲しんで、ああでも、最高だと、

泣きながら笑うのだ。

それがどうしようもなく楽しいから。

 

不幸になって欲しい訳じゃないのに、どっちかと言えば楽しく幸せに暮らして欲しいのに、

どうしてこうも虐めたくなるのか。

結局のところ、歪んだ欲求の捌け口になってるんだろうなとは思うけれど、

これを書きながらさっき気が付いたのは、単純な嫉妬なのかも?

連中には自分の理想を詰め込んでるから、自分が手に入れられないものを持っていることに対して、嫉妬して、八つ当たりみたいなことをしているのかもしれない。

 

まあ、あれだな。

再確認してまた少し解ったけど、どっちの理由にせよ、最低な奴だよなあ。

大丈夫だ、自覚はある。

今のところ、治す気はないけれど。