お久し振りです、相変わらずですが生きてます。

心配されるような歳にもなり、学年にもなりましたが
自分自身としてはそんなに心配しておりません。(それがいけないのか

心配するような悩みもない、っていうのが今の所か。
こないだ道端で宗教家(?)に引き留められて、なんたらっていう文句を書き写す署名をしてくれと言われたからはぁまぁそんくらいならと書き写す間に色々話してみた。

「何か願い事とかありますか?あったら書いてみてください」
「いや?特には(書きかき」
「すごいですね、何も無いの?今の生活で満足?」
「ええ、満足です。これ以上要らない。願うことも何もありません(書きかき」

実際、少し前に七夕で何か願いを書けと言われても書くことが無かった訳だが。
まあ色々と時間を無駄にしたけど、ひとつ感動したことがあったかな。
その人はまぁ宗教の宣伝したい訳だから宗教を勧めてくる訳だけど、こちらとしてはそんな気は全く無い訳で。。

「宗教に興味はありませんか?」
「ありませんよ(書きかき」
「宗教のことはどう思ってますか?」
「気休めですね(書きかき」
「そうですよね、私達も、最終的には宗教の無い世の中を目指してるんです」
「へえ、それは面白い(それは貴女方が不要になるということだけどそこんとこどうなんだろうか)(書きかき」
「戦争が無くなって、人々がみんな優しい心を持って…」
「あ、戦争は無くなりませんよ(書きかき」
「えっ?」
「戦争は無くなりません(書きかき」
「でも無くなったらいいじゃないですか?」
「まあ、そう願いたいならどうぞ(書きかき」
「それでいつかは宗教も無くなって…」
「宗教を無くす必要性は感じませんけどね(書きかき」
「あら?そうなの」
「別に宗教あったっていいと思いますけど?宗教がある必要はないですが、別段無くす必要もない。個人的にはあっても無くても構わない。ただ私には必要ない、それだけです(どうせ最終的には金儲けの手段だし)(書きかき」
「そうなの…」
「はい、これでいいですか?暑い中ご苦労様です。行きますね」

大体こんな会話だった気がする。
で、そう、少し感動したのは、宗教が「気休めに過ぎない」と言っても彼女が激昂したり心折れなかったことだ。
宗教やってる人なんかはその宗教に心酔していて、それを貶された途端に愕然とするものかと思ってたけど、そうでもないのね。
まあ、道端に立って声掛けてるくらいだからその辺のメンタルは鋼鉄なんだろうけど。それにしてもその点には感動できた。


という、しょーもない夏の日の話。
久し振りに日記書こうと思ったのに、何でこんな内容なんだろ。