恐らく、もうすぐ、人生で初めて身近な人の死を見ることになりそう。
母方の祖母が暫く前から入院してまして、緩和ケアという病室へ移ったそう。
自分はそういうの知らなかったけど、末期の患者さんのお部屋だそうで。
母からは癌だと聞かされた。本人には話していないらしい。

至極当然だと思えたので、癌だということに対するショックは殆どない。
もうすぐ祖母が亡くなる。直接的ではなくとも間接的にそう言われたことに対しても、まあそれなりの歳なんだから仕方ないわな、というのが感想。
歳をとれば細胞がおかしくなる可能性はぐんと上がる。
現代医学ではどうあっても抗えないのだから、仕方ない。

母方の祖母は隣に住んでいて、小さな頃からずっと可愛がってもらってきた。
だから、自分がこれほど淡白であることに、少なからず自分自身が驚いてる。
母さんは違う。それは当然で、子と孫の差がここにある。
でも、自分が将来、母さんの死を看取る時に、母さんのようであれるか?と疑問に思う。

母さんはこういう話がすごく嫌いで、こういう話をすると昔から怒って取り合ってくれなかった。
祖母が入院して以来、緩和ケア病室に移る前からほぼ毎日のように病院へお見舞いに行って、食べないとお父さんみたいになっちゃうよ、とお粥を家で作って、看護婦さん相手だとワガママ言って食べない祖母をあやしつけて、食べさせてた。
祖父は自分が1歳になる前に亡くなったんだけども、その時も母さんは東京の病院まで足しげく通ったって。ただ、小さい自分と兄貴が居たから、家に帰れ!って祖父に言われて泊まりはしなかったらしいけども。
昨日は病院に泊まって、今もまだ病院に居る。これから兄貴が病院行って泊まるって。
自分も今週の金曜に泊まる予定。

もちろん、こういう母さんの姿を見てるから、自分も母さんがそうなった時は同じようにするつもりでいる。
ただ、母さんは祖母を少しでも元気付けようと思っているんだろう、「元気になれば帰れるよ」「頑張って家に帰ろうね」とか声を掛ける。
それが自分には違和感にしか聞こえなくて、なんとも言えない気分になる。
人を喜ばせるための、……



……今、少し、よく考えた。


考えたら、涙が出た。

涙が止まらない。


やっぱり、自分は馬鹿だ。
ちょっと落ち着いて考えないと、人の気持ちが解らない。

母さんの方が、自分よりずっと多くの人の死を知っている。
きっと一番よく解ってるはずなんだ、祖母のこと。
その母さん自身がそういう風に言うことが、

何より、辛いんじゃないか。


自分は言えるだろうか
いつか、そういう日が来た時に
何気ない会話のように

希望を、