自分はアッチの世界のことを考える時、風呂に入ってるとか車を運転してるとか、そういう一人きりの空間でいる時が一番物語が進められる。
つまりは、一人で喋れる時だ。
一人で適当に台詞を喋る。
誰かと誰かの会話を一人でやりとりする。

こいつだったらこう訊くだろうな、
あいつだったらこう答えるだろうな。
そんな感じで、真面目なやりとりも下らないやりとりも、一人で会話する。
これがまとめるのに丁度いい。

問い掛けられたら、答えないといけない。
そのキャラクタだったらどう答えるだろうか、と必然的に考える。
そうすると、キャラクタの考え方を理解しやすい。と言うか、設定しやすい。
こういう時に、一番物語が進む。
キャラクタが勝手に独り歩きを始めるのも、こういう時が多い。

それは自分にとっての閃きであって、これまでに出なかったアイデアという点では嬉しい誤算だ。
けど、たまには悩ましい誤算もある。
昨日は悩ましい方の誤算だった。どうも最近、自分の嫌な方向に物語が進みがちな気がする。
まあ、元々が基礎もろくに無い所へ好き勝手組み立てた世界だから、色々と綻びが出てくるのはしょうがないかな。

いつか漫画に描き起こしたいとは思ってるから、なんとか上手くツギハギしないとなぁ。
描きながらストーリーを考える、ってのは、どうも自分には不可能らしい。
ストーリーを完成させた上で、後は描くだけ、ってのが理想。
まだまだストーリーは完成しそうにない。
遡れば中学時代まで戻るお話だから、そろそろ無理かなと諦め始めてもいる。
まあ、趣味だからいいんだ。趣味はあった方がいいからな。

アッチの世界は自分にとっての逃避の世界でもあって、
自分が創り出した架空の友人達が暮らしている。
理想の世界らしく自分の好き要素が満載なわけだけど、自分が嫌悪するものも入っている。
第一、自分が大嫌いな戦争をやっている。
現代らしく人々は平等だと謳われているが、実際は平等でない。
理不尽が横行していて、弱者は守られない。

でもそんな世界で、友人達は前向きに生きている。
制限された自由の中で、精一杯自由を謳歌してやろうと足掻いている。
今気が付いたけど、そういや友人達はみんな、弱者の側に立っていた。
どうしたって、悪者にはなれないのな。
その時点で、作者としては終わってる。才能ゼロもいいとこだ。

それが自分の世界。
不条理や矛盾に塗れている。基本がそれで、
でも、そこに生きる友人達は自分からするとすごく眩しいんだ。
強くてしなやかで勇気があって、一生懸命に生きている。
決して幸せな境遇じゃないけど、彼らはその中で幸せを感じている。

悲しむこともある。
憤ることもある。
苦しむことも泣くこともあるし、悼むこともある。
傷ついて絶望して、
狂いそうになる時もある。

そんな中でも、彼らは自分をしっかり抱えて生きている。
そこも自分の理想だから。