ふと考えることがあるんだが、全く不定期なのでどういうタイミングでこの思考がひょっこり顔を出すのか分からない。
ただ、あまり深く考えたことはない。
無意味だと知ってる。

この思考が出てくる度に、
そうだよ、
って確認して終わるパターンが多いかな。

今回は、ラボを出る前に培地を潰そうとしたんだけど、
オークレバックがちょうど切れてて、
仕方なく何も入れないままオークレの蓋を閉めた、
Backstreet Boysの"Something that I already know"を聴いていたその時に、
何の前触れもなく、ひょっこりとこの思考が顔を出した。

とてもとても下らないことだ。
無意味だってことを知りながら、それでも毎度肯く。


お前は、いつ死んでも、いいんだよな。


ほんの少しだけ考えてから、
そうだよ、
と胸の内で自分に返す。

それは、全てに対する諦めから出した答えだ。いつ出したかは昔のこと過ぎて忘れた。
運命に抗おうとは思わない。
どうしたって、人間死ぬ時ゃ死ぬ。
どんなに死なないように努力しても。

未練が全く無いと言えば嘘になるけども、結局、そこに自分は居ないのだ。
だから、その僅かな未練さえも自分は捨てたい。

自分が誰かを愛するのを恐れるのは、いたずらに未練を増やしたくないから、
ってのも理由の一つなのかな、と思ったりした。
自分は、いつ死んでもいい存在でありたい。
たぶん、そうであることが自分にとっての幸福でもある。

間違っても、能動的に死を求めてる訳じゃない。飽くまでも受動的。
まあ、たまに能動的に求めることもあるけども。
受動的であるのは、親に対する配慮だ。今の所、理由はそれしかない。

明日かもしれないいつか、死ぬ運命と出会った時に、
疑問を感じることもなく、
絶望を覚えることもなく、

そうだね、

と静かに受け入れる心でいたい。それが難しいのは知ってる。
ただ、そう願ってるだけなんだ。