日付変わったんで正確には昨日ですが、教職の授業でノートの貸し借りに関する話題がありました。ちょっくら女王様的な子にノート貸すのを強制される子が、貸した相手の子の方が良い成績を取ってしまったりするので貸したくない、というケース。

まあ、そりゃそうでしょうよ。貸す側にとっては面白くないことこの上無い。

自分でも1日くらいイライラするでしょうね。どうせ他人事なので、すぐ忘れるでしょうが。


自分は基本、貸す側の立場になることが多いんですが。

別段、貸すのに抵抗は無いです。強制されている訳では無し、友人も良識ある人ばかりで助かります。

その逆で、ノートを借りることは滅多に無いです。休んだり遅刻した場合には仕方ないですが、そもそも他人のノートを借りたいとは思わない。何故って、こんなこと言うと失礼千万ですが信頼出来ないから。

何ですかね。掲示板とか締め切りとかでもそうですが、自分は自分の目と耳で聞いたことしか受け付けないらしいです。だから、自分にとってはノート借りに来る友人が不思議なんですよね。どうしてこうも他人のノートを信頼出来るんだろうと。

自分の性分がひん曲がってるだけですかね。


あとは、まあ、成績ですか…。この点に関しては、有り得ないでしょうね。

ノート貸す側の人間が、借りる側の人間に成績で負けることは有り得ない、って意味で。実際はどうなのか知らないですけど。統計でもとってみないと判らないでしょうけど。

ただ、漠然と自分はそう確信しているだけです。

自分にしても、勿論負けるとは思いませんよ。そう言って、自信は無いですが。


授業に出て、先生の話を聞き、ノートをとる。


たったこれだけの作業すら出来ない人間に、やってる人間が負ける筈は無いと思うんですけどね。

成績が欲しければ、何よりもまず授業に出ること。簡単です。

自分の中では、これが最低限だと思ってます。

また失礼ですが、確かに授業が訳解らんくて滅茶苦茶な先生も居ます。全く解説になってない授業もあります。

けど、授業の中でしか得られないものが必ずあると思ってます。

ノートにすら記録されないかもしれない。へえ、と頭の中にするっと入って、それがテストの時に不図出てくるかもしれない。そんなことは奇跡ですが、有り得ない話でも無い。

それが大事なんじゃないかと、自分は思っている訳で。

それがある限り、自分はそれで良いんじゃないかと思ってます。


ぶっちゃけ、ノートの貸し借りなんて本質的な救いにはならない行為でしょうよ。

それは自覚してます。あちらから来るので別に拒む理由も無く貸していますが、貸した相手の為にはなっていないだろうな、といつもぼんやり感じます。

そこで貸すのが友情か、諭すのが友情か。そんなことは知りません。

心の底からどうでもいい。

結局は他人事ですから。ノートを貸すことによって相手が如何なる利益を得ようと不利益を得ようと、こっちにとっちゃ関係の無いことです。

だから、自分はきっと誰よりも軽率にノートを貸すんでしょうね。




おおお、飲み会の翌日に何の話してんだ自分。

とにかく眠い…