丁度1年が経つこの日と決めていた。


そっとドアを開けて、息子の部屋へ入る。

何も変わっていない。1年前と。

この空間だけ、静やかに密やかに、時間は止まったままだ。


1年前、息子の時間は止まってしまった。

だから、私がこの部屋の時間も止めた。


息子は、この部屋がとても好きだったから。

私は、そんな息子が大好きだったから。




願わくば、ずっとずっとこのままにしておきたかったけれど。

時間を止め続けてはいけないこともよく知っている。

だって、この世界は止まることを許さない。

時間の流れは止まらない。

どんなに願っても。

死ぬ他には。


だから、1年の猶予を求めた。


それ以上、時間を止めないことを主人と約束した。

それを告げた時、主人は黙って頷いて、泣きじゃくる私を優しく抱き締めてくれた。




少し傷の目立ち始めた机。

汚れが付いたままのランドセル。

毎日めくることを楽しみにしていた、卓上カレンダ。

日付は1年前の今日。


もう、気持ちは揺るがない。

この1年の間に、自分の中で答えは出していた。


大きなダンボールを一つ用意して、その中へ机の周りの物を入れていく。教科書、ノート、宿題プリント、筆箱…機械的に、極めて淡々と詰めていった。無意識に感情を殺していた所為かもしれない。

だから、国語の教科書を手に取った時に、ふとページを開いてみようという気になったのは自分でも不思議だった。




目次を一通り読んでみて、私の知っている話は皆無だった。

一世代経つとこんなに変わるものかと、私は数枚ページをめくった。

教科では唯一の縦書きのレイアウトで、活字が各ページにずらっと並んでいる。所々に挿絵があり、話の最後には著者の紹介。


そこで、私は思わず笑ってしまった。

載っていた著者の写真に、鉛筆で落書きがしてあったのだ。眉毛と髭をぼうぼうにして、“ピキ”マーク(よく怒りの表現で使われるやつだ)をつけたり、煙草を銜えさせたり。


決して褒められた行為ではないが、私自身もやった憶えがあったので共感出来るのと、とにかくその出来上がった“作品”が面白いのとで可笑しくて、暫くそのまま1人で声を上げて笑っていた。



笑って、笑って、笑って。

…いつの間にか、涙が零れていた。



可笑しくて涙が出たのか、悲しくて涙が出たのか。

あまりにも、そこに息子を感じてしまったから。


退屈そうに授業を聴いている彼。

ちょっとした悪戯心を思いつき、こっそりと鉛筆を走らせる彼。

友達と見せ合いっこをして、笑い転げる彼。


色々な光景が浮かんでは、泡のように弾けて消えていく。


息子は、確かにここに居て。

この部屋に生きていて。

でも、もう何処にも居ない。

帰って来ることもない。


この落書きを怒ることも、一緒に笑うことも、何もかも。

どんなに願っても、それは叶わない。




最後にその教科書を仕舞って、ダンボールの蓋を閉めた。


…さよなら。ずっと、忘れない。

あなたが居た時間、あなたと過ごした時間。


ありがとう、愛しい子。



*****


母の日関連のお話?にしちゃ暗いな。おまけに雑…

結構前から考えてた話なんですけどね。過去の物品整理をしていて、自分が教科書に書いた落書きを見て吹き出したのがきっかけ。

あれがまた笑えるんだよなァ…。兄貴のセンスはピカ一。