物音に、目を覚ました。まだ窓の外には月が出ている。

然程眠りが深くなかったのは事実だが、こんな状態でも周囲に反応する便利な身体に少々嫌気が差した。


そのまま耳を澄ませていると、静かに扉を閉める音が聞こえた。なるべく音を立てないように気遣っているのが分かる。ただ、その音が今迄聞いたことの無い方向から聞こえてきたという点が妙に引っ掛かった。

緑青はこの建物内の配置を知っている訳ではないが、少なくとも緑青が起きている間、vermillionはそちらの方向へは行っていなかったように思う。


(…戸締りでも確認してんのかね?)


ところが、その予想はあっさりと否定された。足音がvermillionのそれとは全く違ったからだ。

ず、と脚を引き摺るような、やや緩慢な動作の音。瞬間、緑青は身体を強張らせた。


(―――vermillionじゃない!)


がばっと身を起こして(またここで軽く地獄を見た)周囲を見渡したが、持っていたパックが見当たらない。銃だけでも、と探している間にも足音はどんどん近付いて来る。そして部屋の前で止まった。


(え、何?俺どうしたらいいんですか!?)


混乱の最中、無情にもドアノブはかちゃりと回り、部屋の扉が開けられた。緑青は文字通り石になった。

続いて、「誰か」が入って来る気配。その「誰か」は慣れた様子で照明のスイッチを探り、押した。


天井から溢れんばかりの光が降ってくる。

天の助けなら良かったのに、と緑青は諦めの境地で笑った。



*****



「…………」

「…………」


相手は照明のスイッチに手を伸ばした体勢のまま、ぴくりとも動かなかった。

緑青に至っては石化中。(多分呼吸もしていない)


入って来た人物は、緑青の存在に予想以上に驚いたらしかった。無論、それは緑青も同様だが。


(やっぱりvermillionじゃなかった―――!!!!)


3m程離れた場所でやっぱり硬直している人物は、すらりと背の高い白髪の男だった。右目が包帯で覆われていて、塞がれていない方の左目がこちらを凝視している。

頭の上が疑問符で一杯に見えるのは、きっと目の錯覚だろう。イヤ、そう思いたい。


ひょっとしてこの沈黙は朝まで続くんだろうか、と石化中の緑青も流石に不安を覚えた頃、入って来た年齢に不釣合いな白髪の男はやおら持っていた荷物を漁り出した。…完全無視の構え。


(もしかして放置ですか、この状況で?!)


なんて一人ツッコミはさておき。

相手の視線が逸れたことで石化が解けたらしく、緑青も思わず肩を下ろす。

とりあえず息でもしようか、と緑青が久し振りの酸素を吸い込もうとした瞬間、耳を劈くような爆音が響いた。

半ば吸い込んだ空気が肺で弾けて酷く苦しかったが、彼は呻き声すら出せずに再び石化した。


相手が持っている物。

月明かりで鈍く光る銀色の拳銃。勿論、本物。

銃口がこちらを真っ直ぐ捉えているということは、そうなんだろう。


緑青は血の気が引いていくのが分かった。さっきまで熱っぽかったのに、急に体温が下がった気がする。

弾は彼の耳を掠めて、後ろの壁に当たったらしい。何かががちゃりと音を立てて床に落ちた。

その余韻も消え、再び残ったのは真夜中の静寂。草木も眠る、静かな静かな夜だ。

イヤ、訂正。夜だ「った」。


「ちょ、待…」


緑青が弁明をしようと口を開いた刹那、相手の殺気の色が瞬時に変わった。

それを敏感に感じ取った緑青は反射的に左手を上げようとしたが、途端に激痛が走った。ほぼ同時に炸裂音。


(あ、そーいやプロテクター…)


無いんだっけ、ていうかそもそも腕動かないんだっけ。うわ不便。

…いやマジ、全然笑えねえなこの情況。


「…下手に動いてくれるなよ。始末が面倒だ」


無感情にこちらを見下ろしてくる長身の男に、緑青は否が応でも恐怖心を抱いた。第一、手にしているその代物が既に怖過ぎる。素直な感想を言わせて貰えば、顔も十分怖かったが。おまけに、多分思想も怖い。

猶も緑青に照準をぴたりと合わせている男には、躊躇いが全く感じられなかった。緑青が下手に動けば、彼は確実に引き金を引くだろう。三度目の正直。次こそは、殺ってくる。


(ヘマすりゃ脳天ブチ抜きであの世行き、か。…なかなか素敵な情況だなオイ)


左腕がずきずき痛んだが、緑青は歯を食い縛って耐えた。

その様子に、相手はちょっと首を傾げたらしい。


「……?」


男はつかつかと近寄って来ると(勿論銃はこちらに向けたままだ)、徐に緑青の左腕を掴んでぐい、と持ち上げた。突然のことに、緑青が悲鳴を上げたのは言うまでも無い。


「痛ッ…!!ちょ、痛い痛い痛いイタああああああああ!!!!」

「…………」


目尻に涙が溢れてきた所でぽい、と腕を解放すると、男は何に気付いたのか、視線を素早く走らせた。

そして、左目をこれ以上無い程に見開いた―――緑青にはそんな様子を窺う余裕も無かったが。



「き、さ、ま……!!」



芯からの怒りに震えたようなその声に、痛みの洪水の中で緑青は死をすぐ傍に感じた。

イヤ、寧ろコイツそのものが俺の死だろ。

どんな理由で更に更に彼を怒らせたのか全く分からないが、彼の怒りは頂点に達していそうな雰囲気だ。


傷の痛みと見知らぬ男(実際、まだ会って3分も経ってない気がする)のプレッシャーとの板挟みで、緑青は自分が潰れてしまうのではないかという恐怖に駆られた。ていうか、もう死ぬのか自分。

そう思うと、何だか一刻も早く楽になりたい気もしてきた。


さらば世界。東の民よ、永遠に。

運は無かったけど結構楽しい人生だったさ、と緑青が完全に人生を床に投げ捨てた、正にその時。


天の助けが舞い降りた。



「お帰りなさい、sigiriさん」


あの、物凄い音がしたと思ったんですが、大丈夫ですか?



*****


やっと名前出せたよ、どんだけ引っ張ったんだコイツ。

何故か隠しちゃったからなー。無駄に伏せちゃったのは、多分その時のノリだ。