『物見遊山のつもりか?イイ御身分やな』


唐突に。全く唐突に聴こえてきた声に、緑青は心臓が飛び出る勢いで驚いた。咄嗟の声すら出せずに硬直したのは些か情けない気もするが、この際は幸運と取るべきか。

危うく「また」下の階で眠っている彼を起こしてしまう所だった。


「……」


恐るおそる、緑青は振り向いた。ペンキをぶちまけられたように真っ白けに塗り潰されている彼の脳は、その声が***のものとは明らかに違っていることさえ判別できなかった。


『よぅ』

「ど…どぅも……」


イヤ、挨拶してる場合か自分。


一体何時の間に現れたのか。否、気配どころか階段を登ってきた音すらしなかったと思うのだが…とにかく、振り返った先には一人の男が立っていた。緑青は混乱しながらも、それが***でなかったことにひとまず安堵しておいた。


『勝手に他人ん家上がり込んで、そんでもって勝手に他人の部屋入って。…挙句の果てに私物にまで手ェ出すとはな、とんだ客やで』


男はこちらを非難しつつ、しかし何処か軽い口調で揶揄しているような節がある。赤いバンドで目が隠れているのでその視線を読み取ることはできないが、彼は明らかに笑っていた。


(何なんだコイツ…っていうか、ちょっと待て?)


よく見ると、男の後ろにある入り口の扉が僅かに透けて見えている。緑青は目をぱちくりさせた。



…こういうの、何て言うんだっけ。

小さい頃はよく話聞かされて怖いって泣いた気がするんだけど。そうそう、軍の宿舎でも出るって有名だったような…。イヤ、でも俺、そういうの全然信じてませんから。その―――


「幽霊」とかっていうやつ???



(俺、霊感とか無いし……足、あるもんな。うん。幽霊の類では…無い、よな)


とりあえず、相手の言っている言葉は理解できる。コンタクトはとれそうだ。


「…あの、ちょ、ちょっと、…1つ、イイデスカ」

『あ?何や』


通じたよ。


(…これってもしかして、未知との遭遇か?どこの次元にあんだよこの家。つうか何飼ってんだよ…!!)


ゆっくり息を吐いてから(何せさっきから身体が硬直したままだ)、緑青は些かの覚悟を決めて、言った。


「……アナタ誰デスカ」


途端に吹き出された。

あまりにもおおっぴらな笑い声をたてるもんだから、下の彼が起きやしないかと気を揉んだ程だ。


『誰や言われてもなァ。…ほんなら、軽く自己紹介でも。国際第七研究所所属のLv.5-humanoid。えーと、codeNo.は個人情報だからヒミツ★な。んでもって、同研現masterdollにして裏の世界じゃその名を知らん者は無い、自他共に認める伝説の天才ハッカー“use”や。宜しくなー』


…………。


とりあえず、幽霊でも人間でもないってことか?


「…あの、我儘言ってスンマセン。……もう一つ、いいすか」

『何や今度は』

「…俺にもわかるように言って頂けないでしょうか」


男は一瞬呆けた顔をしてから再び吹き出すと、『そやな』と腕組みをして小首を傾げた。


『平たく言えば、***の知り合いや』


(果たしてさっきの自己紹介に「***」という単語が一度でも出て来ただろうか)


「はあ…。で、ここは、アナタのお部屋で…?」

『ちゃうちゃう。ここは***の部屋や。今は、な』

「え、じゃあ、アナタは…」

『俺は入ってもええの。ちゃんと許可取ってあるからなァ。問題はお前や、お・ま・え』


指を差されて、緑青は半歩退いた。


『大したチャレンジャーやないか、まさか***の留守中にこの部屋に入ってまうとはなァ。前代未聞やで、この非常識者』


どくん、と心臓が縮こまった。***という単語が出てくるだけで全身が緊張する。冷や水を浴びたよう、っていうのはこういうことなんだろうか。


「あ…い、イヤ、その……これは…好奇心と言うか魔が差したと言うか…」

『そんな言い訳があいつに通じるとでも思うとるんか?人間てのは随分と温かいドタマ持っとるんやな、尊敬するで』

「…その、もしかして……殺され、たり?」

『当たり前や。確実この上無いわ』


今、自分はどんな顔をしているのだろう。とりあえず、緑青の顔を見たその男は爆笑した。

くっくっく、と腹を抱えて、さもおかしそうに笑う。その一方で、緑青は崖っぷちに立たされている思いだった。


(軽い死刑宣告だよな…これって…)


どうしよう。今度こそ人生床に投げ捨てとくべきか。


『ところで、***は何処行った?てっきりあいつが居るかと思うとったんやけど』

「あ…その、食料買いに行くって……近くの町に」

『…へーぇ?成る程、そういう訳かいな』


ふむふむと二度三度頷き、その男はこちらに向き直った。口元には相変わらずの笑みの形。


『ほな、話してもらおか、お前さんのこと』

「へ?」

『あいつは頭カタイ奴やからな、守秘義務が徹底しとって何もお前さんのこと聞き出せんかったんや。この家に客が来るなんて初めてのことやからな、色々と興味あんねん』

「え…あ、……はぁ。」

『で、や』


上手く状況が飲み込めない緑青を尻目に、その男は歯を見せてにかっと笑った。


『お前さんが話してくれる言うんなら、この件、チャラにしてやってもええで』

「へ?!」




…間抜けた声が部屋中に響いている頃。

***は、漸く光が射してきた森の中をひたすらに進んでいた。


いつになく、複雑な感情を抱いて。



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誰か関西弁…(黙っとけ)↓↓