『***!』


自分の名を呼ぶ声(正確には合成音だが)が何処からともなく聴こえてきたかと思うと、横になっていたベッド脇にいきなりその姿が現れた(慣れてはいるが)。柄にも無く少々慌てている様子ではあるが、そんなに切迫している訳でも無さそうだ。自分は読んでいた本を閉じ、身体を起こした。


「どうした?下で何かあったか」

『あいつ、多分頭おかしうなってしもてんで。熱出過ぎて脳味噌イカレたんちゃうか?とにかく、早よ診たってえな』

「、あの居候人がか?」


彼の言葉に耳を疑った。かなり高かったとはいえ、脳に障害が出る程の熱ではなかった筈だが。もしや「また」熱が上がったりしたのだろうか。否、ひょっとすると感染症か?

とりあえず、と必要になりそうな道具や薬品類を荷物から出している間に状況を問うた。


「様子はどうだった?意識は?吐き気はまだするようだったか」

『吐き気も何も、とにかく言動がおかしいんや。“森の声がする”とか言うてお前呼んで来いって、それで…』


「…………。」



何だ。

と、思わず口にしてしまった。



『…へ?***??』


自分が手に持った解熱剤を荷物の中に再び放り込むのを見て、彼は2度瞬きした。


「…use。お前、知らないのか」

『知らんて、何を?』

「“森の声”をだよ」


今度は4度だ。ぱちぱちぱち、ぱち。

彼が瞬きするその音さえも聞こえるような気がする。それを見て、くっと小さく笑っておいた。


「…有名な話だろう。森の民は“森の声”を聴き、森と意思疎通を図ることができるっていうのは」

『何や、お前までそんなしょーもない噂話信じとるんか?!』


しょーもないとは言ってくれるな。と、あいつなら言うだろう。


「あまり驚かせるなよ」


その質問には答えずに、苦笑いして自分は立った。呼んでいるというのなら、行くしかないだろう。

丁度様子見にも行こうかと思っていた所だ。



*          *          *



「…起きたか」


軽くノックをして静かに扉を開けると、彼は横になっているものの、目は開いていた。窓から外を眺めている。


「……うん」


小さな返事が返ってきた。視線もゆっくりとこちらへ移る。相変わらず顔色は悪いが、声はしっかりしてきたようだ。

ベッド脇の椅子に腰掛けて額に額をそっと当てると、彼の体温がじんわりと伝わってきた。


「…まだ熱いな」


昨日に比べれば大分熱は下がったが、それでもまだ微熱がしつこく残っていた。とりあえず感染症ではないだろうという結論に達し、残り少なくなっている点滴に目をやって暫し考えていると、小さな笑い声がした。


「何だ?」

「イヤ。唐突だなーって」

「何がだ」

「オデコごっちん」


……。


そりゃ、普通は手のひらを当てるのは知っているが。


「仕方ないだろう」

「わかってる。でもさ、いきなりなんだもん。ちょっとびっくりした」


そう言って、くくくとまたおかしそうに笑う。…笑うだけの気力はあるらしい。昨日の様子からすれば、殊勝なことだ。


「…useは?」

「さあな。様子見でもしてるんじゃないか」

「あいつ、ひどいんだぜ。俺のことまるで変人呼ばわりして」

「知らなかっただけだ。許してやれ」


その後、ひとつ間があった。見やると、彼もじいとこちらを見つめていた。


「…やっぱり、***は知ってるんだな」

「ああ」


彼の出身である東の民ではないが、森の民とは何度か付き合ったことがあった。彼らは森に関する知識に殊に長け、その恩恵の中でひっそりと、慎ましやかに日々を暮らす少数民族だ。

そして“森の声”を聴き、森の意思をも察することができると―――そう、聞いていた。


「…夢を見たんだ。その中で、森が何か囁いてた。故郷の森じゃなかった。多分、この森だ」

「……森は、何を言っていた?」


そう訊ねると、彼はゆるゆると首を振った。


「わからない…とても小さな声で聴き取れなかった。でも、ホントは大声で叫んでるくらいの声なんだと思う」

「?どういうことだ」


一拍置いて、彼は淋しそうに笑った。


「…俺は、もう森の民じゃないから」


また、窓の外へと視線を向ける。午前の明るい陽射しの下で、緑はどこまでも続いていた。

自分は何も言わなかった。ただ、彼が語るのを待った。


「前から薄々とは感じてたんだ。それが、今回のことではっきりした」



森の民は、森と共に生きてる。

森の民に生まれた者を、森は祝福し、その力の及ぶ限り護ってくれる。俺は故郷のehidoraにずっと護られてきた。木から落ちて何回死にかけたかわからないけど、その度に森は俺を優しく抱き留めてくれた。

森の中で迷っても、森は行くべき道を示してくれる。森に語りかければ、返事をしてくれる。

俺達にとっては、それが当たり前のことだった。

森の中に居る限り、俺達がこんな風に傷付くなんてのは有り得ないんだ。


森と森は繋がってる。

だから、森の民が故郷とは別の森へ行っても森は同じように祝福してくれるし、仲間の子が来たことを喜んでくれる。まあ、結び付きというか影響力はやっぱり故郷の森の方が強いんだけど。

全く知らない森でも、森の民は迷ったりしないんだ。だって森が教えてくれるんだから。すごいだろ?


でも、俺はこの森でこんな大怪我をして、迷った。よくは憶えてないけど、随分歩き回ったと思う。

“森の声”が聴こえなくなったことは前から気付いてたんだ。故郷の森を出たばかりの頃は、森の外でも森が語りかけてくれたから。


…俺は、この森に「森の民」であると認識されてない。

それはつまり、故郷の森にもそう思われてない、ということ。



「…硝煙と血の臭いに塗れて生きてるんだもんな。森がわからなくなるのも、無理ないや」


そう言った彼は、酷く淋しそうだった。疲れてもいるようだ。


「大丈夫か」

「……、ん…。何か、もう……いよいよ、帰るとこ…無くなっちまったな、ぁ、って」


自由の利く右腕で顔を隠すと、彼は小さく嗚咽を漏らした。茶化そうとはしているが、完全に失敗している。


「ぁの時も…嫌な予感は、したんだ…、……空に…、凶兆が出てた、から」


森の民は星を読む。useに言わせれば『原始的この上ない』だろうが、彼らはそれでこれまで生を繋いできた。運命を星の瞬きから学び、森をいつしか還る場所として。これも、彼らとの付き合いの中で知ったことだ。


「…少し休め。何があったのかはまた後で聞く」


額に手をやると、彼は顔を隠したまま、こくりと頷いた。


“森の声”が聴こえない筈の彼に、その声が届いた。間接的にではあるが。

ならば、それ程の声をこの森が発しているということなのだろう。「何かが起きている」のだ。


「何か飲むか?それとも、食欲はあるか」


彼はふるふると首を横に振った。…どちらも不要であるらしい。それとも、眠りたいのか。

しかし、そうなると彼はもう2日前から何も口にしていないことになる。予備の点滴はあるが、高calのものではない。今やっている点滴も残り少なくなっている以上、少し無理してでも何か食べて欲しかったが、恐らく今の状態ではまた戻してしまうだけだろう。




『いつだって、泣いてる暇なんか無かった。その前に闘わなきゃならなかった』


前に言っていた、彼の言葉を思い出す。

仲間の死に涙する前に、彼らの仇を討てと。…そういう状況の中で、彼は生きてきた。


『戦争が終わったらさ、生き残った皆で葬式あげて、大泣きするんだ』


早く、ちゃんと弔ってやりたいんだ。

だから、生き残った俺達が頑張らなきゃ。



きっと、彼は何もかも失った淋しさから、がむしゃらに闘ってきた筈だった。

家族を殺され、仲間を殺された彼にとって、奴等は何時だって憎むべき対象であったことだろう。

故郷を失ってまでも、彼は奴等に復讐せずにはいられなかったのだ。

それ程の強い想いがあったからこそ、彼は過酷な日々にも耐え、彼にとっては一番辛いであろう多くの仲間の死をも踏み越えてここまで来れたのだろう。


それなのに、彼はここでvermillionと会ってしまった。

生まれて初めて、機械に対する疑問を抱いた。

そして、彼に最も親しい仲間達と、自分が誰よりも信頼していた人物の死。


絶対的な信念を崩す存在と、今や唯一となってしまった拠り所の喪失。


この短い間に、彼の身には色々なことが起こり過ぎた。

身体が悲鳴を上げてしまうのも無理はないだろう。




彼は少し、自分に似ているかな、と思った。



*          *          *


・因みに、“夢を見る”というのも森の民の特徴の一つ。普通の人間も夢は見るけど、森の民ははっきりと意味の取れる予知夢などを見ることが多い。


…無駄に長いなコレ。