『立正安国論』を読んでみよう | ノートさんのブログ

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 小林正博(2012)『図表で読む日蓮遺文』(第三文明社)


「この練り上げられた流暢な表現は、災難に遭遇し、眼前に広がる凄惨な情景を目の当たりにしなければ書けるものではありません。そして、この惨状を契機として、日蓮は時の最高権力者に向かって諌暁行動を起こしたのです。そこに貫かれた日蓮の思いは、上下万民が求めてやまない『安穏』が大きく揺らいでいるという苛酷な現実への認識でした。この衝撃的な惨状の直接体験は、民衆救済に立つ日蓮の生涯を決したといっても過言ではないでしょう。晩年期を迎えた親鸞は、この関東の惨状を遠く京都の地で伝え聞いていました。その時『なによりも、こぞ・ことし、老若男女おほくのひとびとのし(死)にあひて候らんことこそ、あはれにさふらへ』(『末灯抄』『定本親鸞聖人全集』第3巻、法蔵館・1973ねん、74頁)と感想を述べるにとどまっています。親鸞だけではありません。同時代を生きる僧たちの中で、為政者に向かって諌暁行動を起こす者はいませんでした」(p162


 小林が言っている「練り上げられた流暢な表現」とは、『立正安国論』を指しています。正嘉の大地震の悲惨な状況を指しています。牛や馬、そして人間まで道路のいたる所に倒れ伏している姿を見て、どう感じたかを小林が述べています。死人が多数出て、「それは悲しいですね」などと他人事のように感想を語る当時の宗教指導者に対して、日蓮の文章はまさに民の苦しみに寄り添う切々たるものでした。興味のある方は「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭(ちよう)飢饉疫癘(えきれい)遍(あまね)く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃(たお)れ骸骨(がいこつ)路に充てり死を招くの輩(ともがら)既に大半に超え悲まざるの族(やから)敢(あえ)て一人も無し」で始まる日蓮の『立正安国論』を読むことをお勧めします。