世音を観ずる | ノートさんのブログ

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紀野一義(1988)『仏教のキイ・ワード』(講談社現代新書)

観世音菩薩普門品

「妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音」

「すばらしい音声、すばらしい調べがこの地上に満ち満ちている。その調べを聴きとる耳を持たねばならない。『聴無音』という。声にならない声を聴きとる耳を持たなければ、仏法の大海に入ることはできない」

「すばらしい音声、美しい旋律がこん地上にのびのびひろがっている、というのである」(p3031

 紀野は上記のように述べている。それはそれとして、筆者は「声にならない声を聴きとる耳」とは何か、考えてみた。それは釈尊が必死に民衆の苦しみの声を聴き取ろうとしたのではないか、と考える。「観世音」とは、「世音を観ずる」ということであり、世の中のことを心を澄まして感じ取ることである。