内村鑑三は『代表的日本人』で「長年の間、万巻の経典の研究に月日を費やしてまいりました。あらゆる宗派の経典に対する見解を読み聞きしてまいりました。その一つには、こう記されていました。仏陀の入滅後五百年間は、精進、禅定につとめてはじめて成仏がかなう。これを正法千年と申します。その後、読経を要する五百年と、さらに造寺造塔に励まなければならない五百年があります。これを像法千年と申します。これが過ぎると、『真の経典は隠されて』如来の教えの功徳は消滅し、いかなる成仏の道も人に閉ざされる五百年が始まります。これを末法の開始といい、それは一万年の間つづきます」(p160)。
「すでに今世は末法に入って二百年です。仏陀が直接に教えを説いてから、はるかに時を隔てた我々にとり、成仏にそなえられた道はただ一つしかありません。その道は妙法蓮華経の五字のうちに含まれている道であります。だが、浄土宗の徒輩は、この貴い経を閉じて、それに耳を貸してはならぬと人々に呼びかけ、禅宗はこの経を軽視し、真言宗は、自分たちの大日経を足とすれば、それは、その足から履き物を取る役にも劣ると非難しています。このような者たちの最期は、「仏尊」により法華経第二巻の譬喩品に記されているとおりであります。すなわち仏教の種を断つ者の最期は、無間地獄に必ずおちると語られているではありませんか。聞く耳と見る目とをもつ人は、これを承知して真偽の相違をわきまえなくてはなりません。浄土は地獄におちる道、禅は天魔の輩、真言は亡国の邪宗、律は国賊であることを知らなければなりません。これは私が言うのではなく、経に書かれてある言葉なのです。雲の上飛ぶホトトギスの鳴き声を聞くがよい。時を知って苗を植えるによい時を教えます。もしもただちに植えないならば、実りの時を迎えて後悔するでありましょう。今や法華経の植え時であります。私は、そのために「仏尊」よりつかわされた使者であります」(p160)
「日蓮は語り了えました。うなるような怒声が憤慨した聴衆から湧き起こりました。気が狂ったのだから放っておけと言う者もあります。日蓮の冒涜は現罰にあたいすると言う者もありました。集会に出席していた地頭は、日蓮が聖地から一歩でも外へ出れば、すぐにこの冒涜の徒を殺そうとはかりました。しかし、やさしい老師は、自分の弟子はいつか後悔し、以前の正しい教えに戻り、夢から覚めるときがおとずれると思いました。そこで、二人の弟子に、夕闇にまぎれて日蓮を、地頭の攻撃から安全な道をとって、その地から連れ出すように命じたのであります」(p161)。
日蓮が立宗宣言するや否や、地頭からの迫害を受けました。まさに経文通りでした。