内村鑑三は、日蓮の立宗宣言の模様を次のように記述しています。「『預言者故郷にいれられず』といわれます。しかし、預言者は、きまってその公的生涯を、自分の故郷で開始しているという悲しい事実があります。預言者は、この世に住む家がない身でありながら故郷の家にひかれるのです。どんな目にあうかを承知しつつも、ちょうど雄鹿が谷川の水を慕うようにして故郷に向かうのです。そこでは排斥され、石で打たれ、追い払われます。蓮長の一生も同じでありました」(p158)。
「寺には人々が満ち、「香が四隅に焚かれる」と、鐘の音とともに日蓮が高壇に現れました。顔つきには夜を徹した勤行の痕がよくうかがわれました。熱狂徒を物語る目と預言者の威厳をそなえ、まさに男盛りに達していた日蓮は、全会衆の注目の的でした。口をつく言葉は何か。息をのんで見守っていました。日蓮は自分の経となった法華経をとりあげると、第六章の一部を読み上げて「やわらいだ顔つきながら朗々とした声で、次のように語り始めました」(p159)。
このように日蓮が初めて己の宗教を宣言したことによって、次々と大難が襲ってくるのです。もとより日蓮は覚悟の上のことでした。