仏道修行と言う言葉を聞いたことがあるでしょう。この意味は釈尊の悟った究極の真理を自分自身で獲得するために、釈尊の教説に従って修行することです。仏道修行とは、仏の教えに従って修行することであり、生半可な考えで修行することではない。だれでも真理に到達できるが、そこには条件がある。その条件は釈尊の教え通りに仏の道を歩むことで簡単なようで簡単ではない。
早島(1990)は『ゴータマ・ブッダ』で「ゴータマ・ブッダの仏教の特質は、『真理』(ダルマdharma),『法』と漢訳する」)は真実(サティアsatya,)『諦』と漢訳する)である』ということを明らかにした点にある。真実の自己、本来の自己を実現していく実践道を説く教え、これが仏教である。したがって、ゴータマ・ブッダが説かれた数多くの教説は、すべて『道』の一語に収まり、『道』をさとった人たちは諸仏であり、仏弟子たちはその『道』に従って歩む者であった。それゆえ、仏教がもともと仏道の語でよばれたのは、ゆえなしとしない」(p50)と述べている。