釈尊が苦行の無益さを知る | ノートさんのブログ

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 釈尊は当初、人間の煩悩こそ不幸の根源ときづき、それを克服しようと懸命な努力をしました。しかし、いくら難行苦行を繰り返しても、体は衰弱するばかりで一向に真理に到達しません。そこで釈尊は苦行の限界を知りました。それまでの釈尊は自分の外から自分を変えようとしました。しかし、それは無理でした。

 そのことを田上太秀(2000)は『人間ブッダ』(第三文明社、レグルス文庫)で[釈尊はさまざまな苦行の奥義を修めるまで努力しました。しかし苦行を修めている途中で、ついに体力の限界を知り、死を覚悟しました。ほかのどの修行者より努力したにもかかわらず、それでも特に神との一体感とか神の恩恵とかを感じ取るとこはできなかったようです。苦行の無益さを悟ったのです」(p35)、「スジャータがくれた乳粥のおかげで体力を回復し、釈尊はガヤーの町外れに行きました」(35)と述べています。