私は、幼稚園が嫌いだ。

 

中1の娘は、2歳児クラスから年長の夏休みまで、

保育園で過ごした。

(息子も生後4か月から4か月間、同じ保育園に通った。)

 

娘が年長の8月、夫の転勤で、日本の端っこへ引っ越し、

近くの、神社が母体の幼稚園に半年ちょっと通うことになった。

伝統的な幼稚園で、通わせているご家庭は富裕層が多く、

この幼稚園に通わせているという、

親のプライドや、伝統ある園のプライドをすごく感じさせる雰囲気だった。

 

保育園の保護者の付き合いしか知らない私には、

送り迎えでの長い立ち話や、

迎えまでの時間をお茶・ランチをして過ごしたり、

迎え後は誰かの家に行き、またおしゃべりをする、

濃い付き合いに、驚き、存分に巻き込まれ、

息が詰まる思いだった。

 

人の家の事情をどこまでも知っている情報網に狂気を感じた。

いつも、だれかの悪口を言っている母親たち。

うわさに聞く世界の通りだった。

幻想ではなかった。

 

そして、異常に保育園の親子を見下していた。

ほとんどを保育園で過ごした私と娘を前によく言うな…くそが!

と心で暴言を吐きながら、

「それ、うちのことだわ!アハハ!その通りだね~」

と、ピエロになる。

 

明るい性格の私は、あらゆる力(財・権力)を持つボス的ママに気に入られ、

お茶・ランチに連れていかれた。

断ろうとすると、

「え?予定ないでしょ?行きたくないわけ?」

と詰める。

恐怖だ。

私は、他者に動きをコントロールされていた。

耐えられない。

 

自分の生活リズムを保ち、自分の世界を広げたい。

私は、持っている資格を生かした仕事をするのが、

健全な精神を保つためには必須なのだと痛感した。

 

ほどなく無認可託児所を利用し、病院勤務を始めた。

 

そこからは、ママ集団とは少し距離を保つことができ、

自分の世界で、自分のスキルアップに励み、

自分だけの大切なものをたくさん見つけた。

 

 その後も、娘の幼稚園関連での密接な付き合いは続き、

 そのたびに憂鬱になり、苦しむ。

 

息子は年少で、無認可託児所から、認定こども園に入った。

いいこども園で、私は好きだったけれど、

娘と同じ幼稚園に入れなかったことを、

ママ友から責められることもあった。

ほっとけよ。って

心でつぶやいた。

 

気に入ってたこども園は、1年も通えず、

年末に、また夫が転勤になった。

 

今度は日本の真ん中あたり。

 

娘は小学校を転校し、

息子は、入れる幼稚園が全くなく、カトリック系幼稚園へ。


子供に関する付き合いが、一旦リセットされる。

 

私は、親同士の付き合いにすごく慎重になった。

幼稚園での連絡先の交換も、できたらしたくないと思ったくらいだ。

(しないといけなかったからした。)

土日の親参加の催し事も、

夫に参加してもらった。

 

「せっかくなので、みなさんでランチ会でもしましょう。」

と、メールが来たが、

就活の面接があるので、と断った。

そしてコロナ禍となり、人が集まることが良しとされず、

保護者会や参観会が取りやめになり、

私にはコロナ禍が神風に感じられた。

 

前回の投稿でも書いた通り、

このカトリック系幼稚園が私にも息子にも合わない。

 

ことあるごとに、長いお祈りをするらしいが、

「神様とは?」と疑問に思ってしまう息子には、

その意義を見出せず、苦しい時間だったそうだ。

 

園長は、幼稚園の先生というより、

ママ友みたいな感覚で保護者に向き合う人で、

話が不快だった。

根拠のない噂話を信じこんで、責めるので、

とても嫌いだと思った。

 

息子は園で何かあったのだろう、

ある先生に「ばかにしないで」と自筆の手紙を書き、

自分で直接手渡したことがある。

「そんなこと全然ないのよー!驚いちゃったわね!お母さん!」

と、園長に言わた。

なんやねん。

 

娘の神社系幼稚園、息子のカトリック系幼稚園

この2か所の経験で、

私はすっかり幼稚園嫌いになった。

宗教色があるのが合わないのか、

たまたま、スタンスの合わない幼稚園・母親たちとの出会いだったのか。

 

子どもの世界に親・大人が入りすぎている。

そう感じると、私は嫌悪感を覚える。

そして、私の世界を侵されるような、

関係性を求められる組織が嫌いだ。

 

そういった関係性を持つことが好きな人もいるわけだし。

 

それぞれってことでしょうけど。


私は、働くことで、

自分が嫌な気分になることから逃げ、

自分を守り続けた。