明治、大正時代の男性の平均寿命は43歳前後とされている。
僕は今月47歳、一昔前ならもう天寿を全うしていたのかもしれない。無論明治、大正時代でも長生きする人は一定数いたであろうが、現在よりも早く一生を終える人も多かったのだろう。
やはり、医療の発展、医療技術の進歩が大きく貢献しているのは疑い無い。
「人生100年時代」というフレーズも当たり前に耳にするが、残念ながら人間はそれぞれ何年生きられるかは全くもって平等ではない。
生まれながらにして難病に冒され数年で生涯を終える子供、はたまたお母さんのお腹で胎児のまま絶命する子もいたり、不幸な事故に巻き込まれたり…
一般的には自分より目上の人から生涯を終えていくのだろうが、それも常に順番どおりとは限らない。
また、災害や戦争を始めとした紛争が起こると、さらにその順番は平時とは逆転してしまう。
僕は法律を学んだときに出会った「法の下の平等」という言葉が好きだ。
人間どの家に、また、どの地域に、どの親から生まれて来るのか分からない。はたまた、裕福な家庭か、貧困の家庭か、愛のある家庭か、健康かどうかに至るまで誰も自分自身で選べるものではない。やはり、人間はそういった側面から考えると全くもって平等ではないのだ。
だからこそ、法律のもとでは等しく、誰もが同じ扱いを受けるべきなのだと自分では理解している。
人間の価値は、どれだけ生きかのかではなく、どう生きたかだ。そのどう生きたかも、自分自身が少しでも納得できればよき人生なのだと思いたい。
自分があとどれだけ生きられるかは分からない。最後を迎えるときに苦労もあったがよき人生だったと思えるようになって欲しいものだ。