精神を患っているかもしれないということは、

ほとんどの場合

○自覚症状がない状態

○自覚症状が有る場合

検索で病状を読んでみるとこの病気は自覚症状がないということで、

最近よく話をしている人や親や親せきに聞いてみるのがいいだろうと思い

まず最近会ったことが有る人間に「頭がおかしい!」的なことを言われたら

今度は親に尋ねてみるしかあるまい。


親は笑った。

「あんたさこの間一緒に旅行に行った義理姉さんが、ほんと変わってるよね!って言ってたよ」

ときたもんだ。

親もまた否定はしない。他人からも変わりものと評される娘に対し笑いながらそう話す。

私は言った。

「それを言うなら叔母さんの娘のほうが変わってると私は思うわ。

それ以上に叔母さん自身が一番変わってると思うよ!だってさ旦那が死んでも仏壇も作らないし、

あの人の前世は日本人にしては合理主義過ぎるよ。仏壇の習慣がない外国人だったのよきっと」

と言った。

すると母は、大爆笑。

「そうそう、そうだ!旅行の時の話をしたっけ?旅行の時にジャージを着てきたのよ。びっくりしたわ」

年寄りの旅行と言えば、唯一化粧をしておしゃれして出掛けるチャンスだ。

うちの母は典型的な「旅行おしゃれ婆さん」で、都会に行くんだと可愛いボブスタイルのズラも付けたり

車いすになった自分の姉にもおしゃれなヘアスタイルのズラをプレゼントするなど、年寄りならではの

おしゃれババアだった。それがジャージで歩く義理姉を見て

「変わってるよね。残りわずかな人生だもの。もっとおしゃれして歩けばいいのにって言ったんだけど、

おしゃれなどには興味がない。それより動き易い格好でリラックスして歩くのがキモチいいの」

と考え方もそれなりに説得力はあり、仏壇のことも

「もうすぐ自分だって行くとこなんだからおがんだってね」

と言うことで、なるほど80歳超えてひとりになればそういう考え方もある。

要するに人間が変わって見えると言うのは、自分とかけ離れた考えの持ち主の場合が多いということだ。


母は私にこう言った。

「行くだけ行ってみれば?それでおかしくなかったらいいんでしょ」

しかし私は、

「ねえ、このパターンは私が引っ越しをした時と同じだと思わない?」

母はそういうとぜんぶ話さなくてもわかった。

「そか。その通りだ。お前が何かしようとしているときにこういう話がくるんだね」

「そうよ。もしも病院に行って本当におかしいって言われて、入院が必要ですなんて言われちゃったら

どうなると思う?食事、生活費、私は仕事をしないで小説を書きまくれるけどそれってどうなの?」

母は笑いながら

「お前の考え方も変わってるのは本当だけどわかったわかった。この話はそういうことね」

というわけで危うく母も誰かに騙されるところだったのだ。

同じ手は二度と食わねえぞ!

この時私はもう一人にも電話している。




おしまい

「俺も一緒に病院についてってやるから

一緒に病院に行こう」


はあ?

まだ言うか?


なぜそれほど私の精神がおかしいと、

いままで一緒にやってきたこの人に急にそのようなことを

言われるようになったのか。

その発端となったのは

私が書いた小説だった。


ノンフィクションで書き始めた小説を

この人は途中から

「想像でもいいから書き終えるんだ」

と言いだしたことで

私は時系列をあえてあちこちでたらめに書き始めた。

時系列にリアリティがあれば

どこかに負担が発生するというような理由が有ったのか

単にサッサと書き終えて新しい仕事をさせようと考えたのか

それとも私が察することができない事情が有ったのかなかったのか。


それからだった。

リアルの世界では考えられない出来事が

私の生活に及んだ。

だがそれも、小説を書く上ではまたとない面白いネタになると

そりゃ喜んで書いた。

ところがだ。

書き終えてこの人に見せれば

「君は病気だと思うんだ。誰かに見られているとか逃げ出したいとかそういう発想は俺が思うには

このプリントアウトしてきた紙に書いてある。あとで検索してみるといい」

そこに書いてあったのは、

「統合失調症」という病名だった。


こ、こ、これが噂の!

いよいよ来たか。

まさか私にまで知らぬ存ぜぬの揚句「頭がおかしい」というレッテルを張り

病人扱いしようというあのさまざまな有名人も苦しんだあの恐ろしい「精神病」というレッテル。


私が読んでいたブログが有った。

精神科や心療内科についての犯罪や心理的操作に何らかの影響を与える薬による被害を訴えている

ブログだった。

(こんなこと、そんなにあるの?)

と、読むたびに普通の人を病気だと言ってまともだった精神をおかしくする薬を飲まされ

逆におかしくなって自殺したとか殺人を犯したとかという事件を扱った話が事細かに書いてあるブログ。


文面からは暗い思想などはなく

事務的な文章の中に、かなり面白い要素が隠れているので

時間が有るときはじっくり読んでいた。


にしてもだ。

小説を書き終わると急に

「君は病気だ」なんておかしいとしか。


だってね。

「プリントアウトしてくれてありがとう。本当にこの小説は出版社に送っちゃっていいんだね?」

って私は聞いたよ。

その人は「いいよ。どこにでも送っていい」

と答えたのさ。

とっとと送ったよ私はね。

そして、送った後に「病気だ」

だもの。

「いま、なんて?」

その上、「君と話していても通じないんだよ。意思の疎通ができないんだ」

あら?

「どうしてそう思ったの?例えば小説を見てそう思ったなら、どの辺がどう病気に見えたの?」

「まずいんだよ」

「まずいというのは?「ま」がつく話なの?それとも異常とか?まさか○チーズを飼うって話ではないよね?」

すると、その人は”マルチーズ”と言ったことに噴き出した。

面白かったらしい。

だが、「意思の疎通がこうして君とずいぶん話していてもできないんだ」

と言っては、

「俺と一緒に精神病院に行こう」と言ったのだった。



おしまい

原田ウイルス汚染に爆笑企業
私はこのウイルスは間にあっていますので、送る必要はありません。


なにやら
預けられたやまだれを
調べると
なぜあの美人がいつまでも独身なのか
書いてあるようにしか見えないのだ。


いいえ、
その病気の文章をいくら読んでも
はあ?
それは病気なの?
という内容の文なので

痴ほう症の一種だと書いてあっても
どの辺が痴ほう症かまったくもって意味不明。

普通の人に見えるというその病気を持った人は
家族の説得に応じなかった場合は
無理やり注射され
薬を飲まされ
病院に入院させられると書いてあった。

普通に見える人が
無理やり注射されるとか
嫌がるのを取り押さえて薬を飲ませるとか
私にはまったく意味不明に見えた。

それよりは
なぜあの人がいつまでも独身なのかということを
くどくど書いてあるように見え、
んーとリアルの世界の結婚の話か
それともブログなどを使った一緒に仕事をするという意味においての
結婚の話なのかもとても曖昧に見えてきて、
この私の症状を
「それだよ、その症状こそ病気の証拠だ!」
と、言うのであれば
私は世間に問いたいと思った。

例えば
あて名書きに
自分の職業ではないものが書いてあり
それについて
「おかしいんじゃないか?」
と疑問を持つのは自然なことだと思う。

それを相手に尋ねるのもおかしなこととは思えないが
私に「あなたは病気だ」
と言った人は、
「俺はおかしいなんて思わないよ。
自分の職業とは違うことが書いてあっても気にしないよ」
と言った。

すでにこの時点でお互いに話は通じないことになり
「どっちかおかしい」
という結論に至った。


おしまい