この言葉に行きついた。

「あの子は40歳になる前に死ぬかもしれないわ」

パソコンの前でそうつぶやくと

いままで変換キーが思うように動かなかったのが嘘のように

軽やかに動き出した。


不正を行っていた人間はそれなりの代償を支払うことになっている


と仮定してみると、


「許されていること」と「できること」は決して同じ意味ではないということ。


できるからと言って許されると思ったら大間違いだってことなの。


神様は見ているのよ。


そして早死にのボタンを押す。


この子は不正をしすぎました。善悪の区別もなく他人のものを盗みすぎました。


その証拠と言ってはなんだけど


原爆を落とされて被爆しても長生きしている人が意外と多いでしょう。


なにも悪いことをしてない人がそうなった時には神様はきちんと命を与えてくれるのね。


悪いこと=アク

という意味ではないことくらい知っているでしょう。


アクエリアスは悪い飲みものかと言えばそうではないし、

けれど今の時代、住宅関係ものでア○○クと書いてあれば用心した方がいいかもしれない。


できるからと言ってやっていいことと悪いこと。


その判断を見失った人間にはお早目の「死」が待っている。


私は過去に「おしょうさん」と呼ばれる人からヒトメボレされたことが2度あったことを思い出した。

なぜか私は「死」を取り扱う職業の人と知りあうことが多く

それは私の父方の親戚にもいることから

もしかしたら父方の前世は「坊主」かもしれない…。と思った。

その割にはみなさん髪の毛は多く

薄毛でお悩みのかっぱ君などには申し訳ないほどだが。


それから歌舞伎町のことを思い出した。

変えられないものの一つに「誕生日」が有る。

そう考えた時に、歌舞伎町にはたくさんの自分の誕生日がわからない人が存在していることを

思い出したのだ。

はやくに施設に預けられ自分の誕生日がわからない。

雇う方は彼の人柄を見抜いて信用し雇うしかないのだ。

そういう人が頼ってやってくる歌舞伎町。

ママたちの目利きと覚悟の太っ腹と修羅場をくぐりぬけてきた凄味を思い出していた。


そうは言ってもコーヒープリンスを見ては

テレビ東京で見たときは確か社長のほうが好きだったけど

フジテレビで見たときは音楽家のほうが好きだったりして

年齢を重ねる間に男を見る目が変わっている自分に

老けたのか?若返ったのか?どっち?

と意外と自分のことなどわからないものなのだった。


それからよく落ちるヘリコプターの謎を解いていた。

もしかしたら最初から最近よく落ちるヘリコプターのことを考えていたような気もする。

「重くても落ちる」

これが私が出した結論だった。

ではヘリコプターが無事に飛ぶにはどうすればいいのか。


私はひとつの答えを導き出したがそれはあえて書かないことにしておこう。




おしまい