先月、父が他界しました。約3年前に認知症を発症し、直近1年間はまさに地獄の在宅介護が続きました。

就寝中大声で叫ぶ、支離滅裂なことを連発する、意味もなく引出しを開けまくりものを探す、屋内外問わず徘徊する、自力で排泄ができず家中の至るところで放尿する、浴室で便をする・・。このような行動が日常となり、在宅介護をひとりで行っていた同居人の母は心身ともに疲弊していました。わたしだったら、たった1日で気が狂うだろう。そう思いました。

脳が壊れた人間と同居し生活を共にするのは本当に大変なことです。母はよくやり遂げました。もしも経済的に余裕があったら、即介護施設への入居を検討した方がよいです。でないと、家族が崩壊します。わが家はそこまで余裕がなかったのと、家族の中で「在宅介護が基本筋だ」と強く主張する者がいたため、在宅介護を強いられることになりました。非常に辛い状況でした。

また、そのような強い主張をする者に限って家族の介護には一切関わりません。全力で拒否です。あの時兄の家族に対しての思いやりのなさがハッキリとわかりました。

大切なのは要介護者のケア以前に介護者のメンタルケアです。介護者である母がストレスのあまりノイローゼになったり、介護放棄したらどうなるのでしょうか?兄が代わりに看てくれるのでしょうか?ノイローゼになる限界までは歯を食いしばって在宅介護しろと言われている気分でした。

そして、父の度重なる破壊行為と暴力行為が続いた末、母の口から「わたしはもうどうなってもいい。死にたい。」という言葉を聞いたとき、わたしはとても悲しくなりました。こんな思いまでして、在宅介護をしなければならないなんて。。

夜中のトイレ介助のため寝室側のソファで寝る母

父はレビー小体型認知症でした。レビーの特徴として攻撃的な人格になる。とても厄介な認知症。とても扱いづらく手がかかりました。症状は徐々に悪化し、家中のものを破壊したり、家族に暴力まで振るうようになりました。挙句の果てには母とわたしに手をあげる始末。そして、遂にわれわれは命の危険にさらされることになりました。

ある日のこと、父の暴力行為がエスカレート。80過ぎと言っても男は力がある。女2人がかりで必死に抵抗しました。母はかろうじて無傷でしたが、わたしは両手と右足に怪我を負いました。結局、女2人では手におえず、警察を呼ぶことに。その結果、措置入院となりました。

植木鉢を振り回し殴りかかった後

措置入院先の病院から主治医のいる精神病院 に転院し、わずか1ヶ月で口からものを食べられなくなり点滴状態となりました。そして、それから間もなく亡くなりました。

死亡時の体重は33キロ。葬儀場で見たときのすっかり痩せ細り変わり果てた姿に昔の面影はありませんでした。

葬儀は家族葬に父の友人1名が加わっての小さなものでした。葬儀場では身内に見守られながら旅支度をし、その後、父を乗せた霊柩車を先頭に斉場までの短い旅路をそれぞれの車で走りました。

火葬式が終わり、身内、父の友人とは解散。朝4時に起き、夕方までいろいろとやることが続きましたが、1日を無事に終えることができました。

火葬後、8寸の骨壷に収められた父の骨は海洋散骨することにしました。父は他県出身のため、市内にお墓がないこと、死んだら海へ散骨することが希望だったからです。

翌日、配偶者の母は市役所での手続きに追われていました。身近な人が亡くなった後の手続案内を片手に役所内を駆けまわり半日でおおよその手続きを済ませることができたようです。

身近な人が亡くなった後の手続案内

初めてのことばかりでバタバタしましたが、2日目には事務的な手続きなど一段落しました。わたしは2日半有給休暇を取り、その後仕事に復帰しました。

直近の1年間は母とわたしの2人きりであらゆる困難に立ち向かい切磋琢磨しながら乗り越えて来ました。この間、身内や友人とは疎遠になりました。あまりにも必死で人と会う余裕などなかったので。

本来であれば、家族全員一人一人が協力し合って父の介護に関わるべきですが、わが家の場合は同居人の母がひとりで在宅介護をし、リモートワークになったわたしが母に寄り添い介助を手伝いました。それがなかったら、母ひとりで在宅介護は継続できなかったと言います。

わたしは2022年の2月以外は東京から実家に毎月帰省しました。トータルで2ヶ月以上実家で仕事をしながら介護に協力しました。これもリモートワークのおかげ。とても有り難かったです。

先述しましたが、家族の中には協力どころか逆に予防線を張り、あえて介護に関わらないようにする者もいました。また、ケアマネの経験不足により、いざと言うときに頼りにならなかったのも事実でした。これらのことは本当に残念で時には腹ただしく感じました。

今でも抵抗したときに負った傷は深くまだ完全に癒えていません。けれど、あらゆる困難から開放され、ようやく肩の荷がおりて母と共に安堵しています。これでようやく平穏な日々に戻れそうです。

両手の指は今でも後遺症が残り痛む

最後に主治医を始めとする医療従事者の皆さま、介護施設のスタッフの皆さま、警察の皆さま、いつも親身に相談にのってくれた看護師の友人へ。どうもありがとうございました。心より感謝いたします。