朝、やっと見つけた朝顔を撮りに出かけたら、途中で曼殊沙華が咲き誇っているのに出会った。ああ、もう朝顔の季節じゃないんだと、あきらめてこの田んぼのあぜ道にしばらくすわり込んでしまった。夏の終わりの深い緑に交じって、この朱はきついが、花の形は何度見ても凄い。自然の素晴らしい造形力としか言いようがない。曼殊沙華とは法華経に曰く「天上の花」という事らしい。
雨上がりの一瞬の晴れ間に、コスモスが逆光の中で揺れていた。好きな花は何かと聞かれたら、私はコスモスと答える。ピンクや赤、白のコスモスが乱れ咲く姿がいい。ただ乱れ咲く風景というのは撮るのが難しくて満足できたためしがない。(ま、私が下手なだけなんですが)
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子供が美しいものを見て感動するのは何歳くらいからなのだろう。
私の記憶はコスモスではなくパンジー。これ、三色すみれっていうんだよと、教えられてじっとその花を見入っていた。多分、「美しい」とか「きれい」という言葉も知らない歳だったと思う。鮮やかな黄色や紫の色彩や、柔らかな花びらの感触をじっと見つめて飽きなかった。カメラでいうならFF、ドアップで他に何も目に入らない、生まれて初めて出会う美しいものへの言葉にならない感動。
子供の頃はそんな感動を何回も味わったような気がしているのだが、一体、人はいつからそんな感動を失ってゆくのだろう?
歳を重ねるにつれて、感動するという事が少なくなってくるのは、見馴れた世界を見るだけで外の世界を見ない、相対的に世界が狭くなってるという事だろうか。そして歳を重ねるにつれて時間の過ぎゆく速度がどんどん速くなるのも同じことなのかもしれない。より広い世界へ。
好きな言葉は 「志・こころざし」
雌日芝を撮ったついでに雄日芝も撮った。別名ベタベタ草。小穂の部分がベタついて、犬などのペットにつくとアレルギーを起こすらしい。案外厄介な草のようだ。引きちぎるのに力がいることからチカラグサとも。イネ科。
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9.11アメリカ同時多発テロからもう20年か。早いな。あの事件を知らない子供たちが大人になりつつある。3.11からも10年だ。どちらの事件もリアルタイムで放送されTVに釘付けになっていた自分がいる。9.11は当時勤めていた会社で仕事もそっちのけでWTCの崩落を食い入るように見つめていた。3.11の時はもう今の仕事だったが、夜勤明けで寝ているところを、大きな揺れで起こされた。本棚が倒れそうで揺れが収まるまで抑えていた。TVをつけると東北のどこかの町の漁港が映っていた。そこに間もなく津波が襲ってきた。橋を渡る車が映っていたが寸前にカットが切り替わった。
そしてこの1年はパンデミック。5年後10年後、パンデミックは収まっているだろうか?収まっているとしたら、どんな印象が残っているのだろう?
「このコロナ下、総裁選なんかやってる場合か」という野党の虚しい批判なんて覚えていたくないね。まるでベタベタ草。