少し前に、日商のWebサイトで前回(第148回)の簿記検定に関する講評が発表されたということで、昨日はPDFをダウンロードしてしばらく読んでいました。
https://www.kentei.ne.jp/22388
あわせてこの機会に、過去の講評もパラパラ眺めてみましたが、これはなかなか面白いですね。
試験対策という面でも参考になりますが、出題者のエッセイのような感じで、純粋に読み物として楽しめます。
さて、それを見ているときにふと気がついたのですが、同じサイトにこんなページがありました。
https://www.kentei.ne.jp/bookkeeping/class1/prize
ここ数年の、1級検定の最優秀合格者にインタビューしている記事群です。
厳密なフォーマット(質問形式というか)はとくに無いようですが、どのインタビューでも勉強法に関する話題が出ていて、これがまた参考になります。
簿記1級の、それも最優秀合格者(というのはおそらく、最も得点が高かったということだと思いますが)といえば、とんでもなく頭の良い人だと思わざるを得ませんが、いわゆる「よそ行き」の対応であることを差し引いても、素朴な、謙虚な言葉が並んでいて、「自分も頑張ればできるかな」と思わされます。
そして彼らの取り組みを並べて読みながら、あらためて思いましたが、勉強ができる人というのは、誰もが自分なりの勉強法というものを確立していますね。
あるいは、それをつねに求め、アップデート/最適化している最中というか。そういう印象を抱きます。
よく、東大をはじめとする偏差値の高い大学に合格するような人たちに対して、「頭のできが違う」みたいなことを言う人がいますが(最近だと「地頭(じあたま)」という表現を使って同様のことを言う人が多い印象があります)、本当に違うのは、そういう先天的なものではなく、普段からそういう、自分がより勉強しやすい環境や方法について考えているかどうか、ということであるように思えます。
そしてこれは、じつは自分の中に「自分に教える人」を作る行為であるようにも思えます。
勉強というのは、普通にイメージすると、「先生から教えてもらうもの」であって、一人でやるのは宿題とか、せいぜい予習・復習のようなもので、基本的には「他人から受け取るもの」であるように考えてしまいがちですが、実際には、勉強をする上での「メインの現場」は一人でやっているときであって、その時間をいかに充実させるか、ということが結果を左右するのではないかと思います。
そして、その一人で勉強をしているときに何が起きているのかというと、自分の中に、「自分に教える講師像」とも言える存在を立ち上げて、その「自分の中の講師」から教えてもらったり、また同時にその講師をさらに育てていくことだったりすることなのではないか、とも思います。
たとえば工業簿記の標準原価計算について、ある時まではまったく意味がわからなかったのに、何度めかの過去問を解いているときにふと、「あ、そういうことか・・」と気づいて、その後は多少問題の形式が変わっても、一度理解した原理をもとに解けていく、なんていうことがあった場合、そこで起きているのは、自分の中に「標準原価計算に詳しい講師」が誕生したということなんじゃないかな、と。
一度そういう存在が生まれると、少なくともその論点に関しては、いつでもその講師の理解が中心になってものを考えられるようになり、その観点をもとに問題を解くことができていくんじゃないか、と。
スポーツの世界でも、トップレベルの選手には専属コーチがついているものですが、「自分の中の講師」とは、簿記で言ったら「自分専属の簿記のコーチ」みたいなもので、そういう存在ができたら強いのかなと、あるいはそういった内的な専門家を育てていくことこそが、「勉強する」ということなのかな、とも考えています。
書いているうちに、ちょっと入り組んだようなイメージになってしまったかもしれませんが・・最近時々思っていたことを、この機会にメモしておきました。