注意⚠️
イギリス古典「IVANHOE」を元に和風アレンジした私的小説です。




宿に戻った是枝家の使者は、手早く荷物をまとめると、昼間見かけた安東伊作を探して街道に出た。
「下等な宿しか取れない」とあの三人は言っていた。相部屋か、治安のあまり良くない地域にいるのかもしれない。
使者はこの辺りの地理に詳しいようで、迷いなく下町を進んで行く。
程なく、喧嘩を売られている安東伊作を見つけた。大柄な武士風情に難癖をつけられていた。
素早く両人の中に入り仲裁を申し出るが、話し合いにもならない。
「では、この者の代わりに私がそなたと決闘いたす。それでよろしいか?」
「俺を誰だと思ってる?穂高国の与一だ!親善試合に穂高代表ではるばる来ているんだぞ!無駄なことはやめて、金さえ払ってくれれば良いんだよ‼︎」
「情け無い。それでも武士か⁈刀を抜け。相手をいたす!」
「は?命知らずだな、こんな異邦人を庇っても意味ないだろ⁈」
「刀も抜けない腰抜けか?早くしろ」
使者は周りの野次馬を後退させる。
「良いだろう。俺が勝ったら倍の小判を払ってもらうぞ!」
型も何もなっていない動作で、穂高の与一が切り掛かって来た。
軽く身をかわし、峰打ちする。
与一の巨体が道を塞ぐように横たわった。
「言葉ほどもない。穂高の与一、二度は無いと思え」
刀を鞘に戻しながら、使者は安東伊作に振り返る。
「荷物をまとめろ!狙われているぞ」


その夜のうちに、是枝の使者は金持ちの商人安東伊作を連れて厩橋の城下町を出た。
馬は目立つので使えない。徒歩で行けるところまで歩き、岩場に仮眠が取れる場所を作る。
「さあ、日が登ったら住まいまで送るが、この先は隠れる場所が少ない。とりあえず待機だ」
「御武家様、窮地を救ってくださりありがとうございました」
安東伊作は『このお方も御礼と言いつつ金を出せと言ってくるのだな、どちらにしろお金を払うのは一緒だ』と懐から小判を取り出す。
「礼は不要だ。あの与一から守ったのではない。お主はもっと大物の鷹に狙われていたのだ」
早く寝ろ、と手で合図して、使者は岩に寄りかかった。「わたしも疲れた」
「タカ、ですか?」
「鷹と狼と熊かな?」
「ああ、丈恩殿の三武士ですね!」
安東伊作は身震いした。「よく知っています。確かにあの与一殿より悪手だ」
使者が少し笑ったように見えた。
「明日、この辺りまで追いかけてくるかもしれぬ。しばらく身を潜めておれ」
目を閉じたまま、使者は商人に言った。
安東伊作は自分の持ち物を引き寄せ、小さくなって目を閉じた。

「確かにこの道しか無いんだな?」
声が聞こえてきた。
安東伊作が目を開けると、使者が「しっ!」と声を出さないように合図し、岩場の影から様子をうかがう。
三武士は、馬で駆けてきたようだった。

「やつの身代金で遊んで暮らせると思ったのに」
「まだ城下のどこかに潜んでいるんじゃないか?」
「仕方ない、また機会はあるだろう」
そんな会話が聞こえ、三人の勇ましい武士は来た道を戻っていった。

安東伊作は大きく息をする。
「恐ろしい。彼の方たちはわたしたちを人間だとは思っていないのですよ」
「まさか。お金があり過ぎるのも面倒だな」
使者は立ち上がった。
「親善試合の会場がある松野関まで行けば、お前の屋敷があるんだな」
「はい。おかげさまでお店を構えさせていただいています」
「なぜ、今回一人で行動しているのだ?お主ほどの者なら数人の共がいてもおかしくないだろう」
「鎧と武器の大量注文が入りまして、期日も無かったものですから、直接納品に伺ったのです」
「あ、是枝将軍の名でそれは俺が発注したんだ。人夫が雇えないほど値切った覚えはないぞ」
「もちろんです。繁忙期なので使用人は納品後に帰しました。ただ厩橋城下に新店舗の候補地を探すつもりで自分だけ滞在していたのです」
「それにしても護衛がいないとは不用心だな」
「今は仕方ないのですよ。腕に覚えがある方たちは試合の準備でそれどころじゃない。こちらも試合の準備で人手不足ですしね」
「親善試合もやっかいだな」
「いえいえ、おかげさまで良い商売になっています」
二人は笑った。

松野関は露崎盛陸の領地だが、実際に治めているのは、前領主の嫡男榊原厚真である。
榊原厚真の母方の出身がここだ。
小さな規模ながら、強固な城が自慢である。露崎盛陸は厚真が元服を迎えたとき、城を一つ任せた。
まだ自分の目が行き届くうちに、榊原厚真を一人前にして、瑠奈姫と結婚させ、後に厩橋城を明け渡す予定でいる。
その二人の補佐を我が息子露崎泰志に託せば、先代の榊原景綱への恩返しになるだろうと思っていたのだ。
ただ懸念があるとすれば、立派な父榊原景綱に比べて、息子榊原厚真は野心に欠ける。豪快だが領主としては優し過ぎるのだ。
自分と前線にてともに戦いに出ている泰志と比べても、少し物足りなさが気になるところ。それも成長するに従って良い方向に向かってくれるのでは、という期待がなかなか報われないでいた。

「使者殿も親善試合に出場されるのですか?」
「いや、わたしはただの伝令だから」
「いえ、隠しても私には分かりますよ。昨夜私を助けてくださったときも只者でない感じはしていましたが、お持ちの刀、伝説の鍛治師が打った名刀ですね」

「さすが商売人は見るところが違う」
「お入り用なものは当店で揃えさせていただきます。せめてもの御礼です」
使者は、ふっと笑って頷いた。「それはかたじけない」

続々と親善試合のために人々が集まってきている。
もちろん近隣の宿屋は満室だ。
宿が無いかわりにテントを張る。さながち戦の陣取りのようである。

滅多にない催しなだけに腕自慢も観客も続々とこの小さな松野関に押し寄せてきていた。

法螺貝のなる音で会場は一気に盛り上がった。
親善試合は三日間かけて行われる。
一日目は一騎打ち、二日目は弓道、剣道、柔道など各試合、三日目は団体戦だ。

是枝丈恩のお墨付きの三強、長嶺義輝、黒瀬宗久、角張重信の三人が挑戦者を待つ方法で一騎打ちをする。
真剣は使用しない。馬上試合と呼んで良いだろう。
簡易に建てられた座敷に厩橋の露崎盛陸は前城主の嫡男榊原厚真と自身が後見している瑠奈姫と共に陣取っていた。
その隣には厩橋の菩提寺、蓮昌寺の僧侶である快玄和尚が和かに従う。

「厚真殿、そなたは出場しないのか?」
当たり前のように座敷に座って茶をすする榊原厚真に耐えかねたように露崎盛陸は尋ねた。
「露崎の親父殿。一対一では部が悪い。自分は三日目の団体戦に出場しましょうぞ」
これには瑠奈姫も苦笑い。
「厚真殿は、茶道や花道の方がお上手ですものね」
「確かに、それでしたらここにいる者たちの中では群を抜いて優勝じゃ!」
機嫌良く厚真は応えた。
隣で露崎盛陸は頭を抱える。
『時期当主なのに嫌味も分からずとは…』
やれやれ、と快玄和尚が首をふり「厚真殿は武士より僧侶向きなのですがね」と笑った。
榊原厚真はそれを否定する。
「いや、和尚殿、わたしは僧侶にはなれませぬ。精進料理は勘弁です」
「ははは、左様ですな」
快玄和尚は確かに、と頷いた。
ふと、顔を上げた瑠奈姫が一般席に座る女性を見て聞いた。
「あら、あちらに座る不思議な着物のおなごはどなたですの?」
「ああ、あれはこの辺りの大商人安東伊作の娘麗華だ」
「異国の雰囲気をお持ちね」
「伊作が大陸から来た渡来人で、麗華の母も少数民族の出身だから、少し違って見えるのであろう」興味無さそうに露崎盛陸は応えた。
昨年、安東伊作から年貢を多く取ろうと交渉したことがあったのだが、伊作は弁が立ち、なんやかんや理由をつけられて年貢を取れなかったことを思い出した。
自分が言い負かされるとは、なんたる屈辱。

かたや、安東伊作が座る席からも露崎盛陸一行はよく見えた。
「父上、あの方はどちらの姫君ですか?」
「厩橋城の瑠奈姫だ。前城主榊原景綱殿に後添えに来た都のお姫様の娘だ」
「もともと母姫について都からやって来たが、母も亡くなり、義理の父も亡くなり、露崎盛陸殿の養女になっているのだ」
「露崎殿の義理の姫なのですね」
「わたしも早くに母を亡くしましたが、あの姫君は母殿も父殿も亡くされているなんて、お寂しいでしょうね」
「なに、蝶よ華よと大事にされているだろうから心配はいらないさ。わしもお前が寂しく無いように蝶よ華よと育てたであろう?」
「ふふふ。元よりわたしにはお父上がおりますから、寂しくはありませんわ」

全国から猛者が集まってきているにも関わらず、丈恩の三武士に敵うものは現れなかった。
「名だたる武士に打ち勝てば、全国に名を馳せるだろう!」

しかし是枝丈恩の精鋭武士三人をしのぐ者は現れない。
是枝丈恩はつまらなそうに言い捨てた。
「これでは、盛り上がりにかけるな。なんかこう一人くらい余を面白がらせるような武士はいないのか⁈」

挑戦者が現れては負け続け、もう誰も三強に挑戦しなくなったと場がしらけはじめたところ、新たな挑戦者を告げる法螺貝の音が鳴り響いた。
「我こそは、挑戦者なり」
会場は一気に盛り上がる。
「新しい兜に鎧、借り物だな」
値踏みするような視線で長嶺義輝は挑戦者を射抜く。
「名はなんと申す?」
「某は名乗る名は持ち合わせておらぬ」
「名乗れぬのか?名をあげるための親善試合なのに、おかしなやつだ」
馬の踵を返そうとした長嶺義輝は、隣の黒瀬宗久に止められた。
「この生意気な小僧は、わたしに任せてもらおう」
「ははは、良いだろう」

鎧兜を付け馬に乗ったまま斬り合う試合の仕方だ。
試合は木刀だが、落馬したり、兜を取られたら負けと判断される。

審判の号令でそれぞれの陣地から馬を走らせる。
中央で二頭の軍馬が交わる瞬間、木刀も激しくぶつかる鈍い音が響いた。
瑠奈姫が思わず目を瞑り、また開いたその時、会場は大声援に包まれた。
負けなしの黒瀬宗久が落馬していたのだ。
「やりよった!挑戦者が打ち負かしたぞ!」「あれは誰だ⁈この土地のものかもしれん」
露崎盛陸は大興奮だ。


挑戦者は審判のところに馬で戻ってきた。
長嶺義輝がそれを押し退ける。
「まぐれだ。これで勝ったわけではない。まだ二人いるのだ」
「次は俺だ‼︎俺に譲れ!」
更に割り込んできた角張重信が怒鳴る。

ニヤリと笑って長嶺義輝は後退した。
「良いだろう。どちらにしろ同じことだ」


出発地点に着くと角張重信は兜を被る。
「黒瀬よ、見ておれ」
体格的には大柄の角張に分がありそうに見える。その差は歴然。
是枝丈恩が合図を送る。
二頭の軍馬が左右から駆け出し、ぶつかり、そしてまた離れた。
使っているのは木刀だが、角張の鎧が脱げかけていた。

陣地が替わりまた左右からぶつかり合う。
先に落馬したのは大男の方だった。

またもや大歓声!
「まさか、そんな⁈」

武士三人のうち二人を破った名もなき武士は、最後の精鋭武士の前に戻ってきた。
「なかなか見込みがあるとみえる。だがそんな幸運も続くまい、覚悟しておけ」
「貴殿こそ。二人の二の舞にならぬようにするが良い」
「生意気な‼︎」

すぐにでも衝突しそうな二人だが、是枝丈恩が静止する。
「両者とも位置に付け!」
彼はこの親善試合を成功させ、国民人気が欲しいのだ。
あくまでこの催しは祭りであり、民が楽しめれば良い。勝手に決闘になっては困る。

両者睨み合ったまま、それまでの馬上試合とは違った緊張感が漂う。
観客も息を呑んで見守る。

「はじめ‼︎」是枝丈恩が合図を出した。
激しいぶつかり合いからの斬り合い。
数回ぶつかり合ったが、勝敗が付かない。
力は互角というところだろうか?
どちらかと言うと挑戦者は既に続けて二戦しているため体力的に不利だろう。

挑戦者の木刀が長嶺義輝の兜を弾いた。
両者睨み合う。刀が激しく音を鳴らす。長嶺の刃が挑戦者の脇腹を突いた。同時に挑戦者の木刀が長嶺の木刀を叩き落とす。
どちらも体勢を崩し、長嶺義輝は落馬寸前に挑戦者の馬の腹を蹴った。
馬が倒れ、挑戦者が地面に投げ出される。
ほぼ同時に着地したが先に落ちたのは長嶺義輝だった。素早く立ち上がり2人は掴み合う。
審判が制止する。
「止められい!勝負は馬上のみ。勝敗はついております‼︎」
「そこまで‼︎」
是枝丈恩が立ち上がった。
どっと沸き立つ観衆。
「挑戦者だ!」
「挑戦者が勝ったぞ!」
「露崎の剣士か?」
「都の武士だろ?」
名前を名乗らぬ飛び入りのため、様々な声が聞こえる。
大歓声の中、安東伊作は娘にささやいた。
「あのお方だ。恩人だ」
「……」
安東麗華は、名無しの武士をずっと目で追っていた。

面白く無いのは、主催した是枝丈恩だ。
高段の座敷席に座る丈恩は、自分の部下である負け知らずの三強をたった一人の飛び入りにやられるとは、しかも兜に家紋もなく、どこの誰とも分からない。
「誰だ?あの者は誰か調べろ!」近くの兵士に指示する。「は!」
側近が、呆気に取られている是枝丈恩に声を掛けた。
「殿、決まりです。勝者に褒美を与えてください」
「分かっておる!」
半ばヤケクソだ、と是枝丈恩は立ち上がる。
「勝者は前へ出よ。褒美を与える。出身と名を名乗れ!」
脇腹を小手で抑えつつ、御前に挑戦者は歩み出る。
「自分は故郷より離れた身分である故、申し上げられず、何卒ご容赦願います」
「そちは、この誉を天下に知らしめる機会を逃すというのか?浪人ならば尚のこと、士官するのに有利になろうものだろう…」
ここで、丈恩はニタリと笑った。こちらに引き入れれば良いことだ。
「余が召し抱えることも考えようぞ」
挑戦者は、頭を下げる。
「ありがたきお言葉です。が、自分は武者修行中であり、己に誓いを立てていることもございます。ひらにご容赦ください」
ふん、と是枝丈恩は鼻を鳴らし面白く無さそうに手を振った。
「よいよい、誓いを破らせるわけにはいかんだろう。褒美を持って辞すが良い」
「かたじけない」

そのやり取りを今にも飛びかかりそうな勢いで、長嶺義輝、黒瀬宗久、角張重信は聞いている。「生意気な!」「痛い目を見ねば分かるまい」

同時に少し離れた座敷席でこの地の領主露崎盛陸は、何か腑に落ちぬように顎ひげを触っていた。
「あの太刀捌き…。和尚殿、貴殿はどう思う?」
「ああ、お館様に似ておりますな」
蓮昌寺の快玄和尚は頷いた。
「露崎の親父殿、どこぞで手合わせした者ではないのですか?」
榊原厚真は無邪気に笑った。
ドキリとして、側付きに命じる。
「あの者の素性を探れ。松野関城に連れて参れ」「かしこまりました」
「もしや、あの者は先日の是枝獅政殿のお使者…。あの使者殿は、まさか」
隣に座る瑠奈姫の不安そうな眼差しが目に入る。多分、同じ事を考えているのだろう。

まだ、試合場は大勢の観衆の熱気に包まれていた。


つづく