注意⚠️
イギリス古典「IVANHOE」を元に和風アレンジした私的小説です。



大陸の極東に扶桑と呼ばれる島国があった。
この扶桑国は独特の歴史を持ち、建国時代から続く帝によって、一見まとまっているようだか、各地で力を持った豪族が、天下を取ろうと国取りの争いを繰り広げていた。

槇丘国にある難攻不落の厩橋城を遠目に見て、旅の浪人はため息をついた。
城下町には活気があり、たくさんの人が行き来している。
厩橋城の城主露崎盛陸は、かつて扶桑国一番の剣士と呼ばれるほどの猛者であったが、最近では戦争でなく和平交渉によって国の繁栄を維持していた。
いつ破られるか分からない和平によってもたらされている束の間の平和がそこにあった。
今日は扶桑全体を掌握している是枝獅政の弟是枝丈恩が厩橋城に滞在しているという。来週行われる武士達の親善試合がこの地で行われるためだ。
いつもより賑やかな城下の通りで宿を求めた。見ると宿にありつけず往来で困っている男の姿があった。
有名な金貸しで商人の安東伊作だ。
彼はもともと知識人として扶桑に大陸の政治や技術を教えるために都に望まれてやってきた大陸からの渡来人である。
大陸との貿易に長け、商人としての才能も然り、さらには困った人に金貸しまで行っていた。
しかし、異邦人を好まない扶桑の人々は彼の成功を許さなかった。
そのため彼は必要以上に虐げられているのだ。

浪人は安東伊作を一瞥し、城門へ向かう。
顔が見えぬほどの外套を纏っているが、不思議と怪しい印象は受けない。
「是枝殿より書状を預かっている。門を開けよ」
2人の門番はいぶかしげに顔を見合わせた。
「是枝殿は今場内に座すが?」
「弟君ではなく、当主の是枝獅政殿の書状である」
「なんと、しばし待たれよ」
門番の1人が場内に下がり、係を連れて戻ってきた。
「こちらに。ご案内いたす」

城内も人の行き来がいつもより多いようだ。是枝丈恩を迎えるための宴の準備だろう。
「お使者殿、こちらでお待ちください」
控えの間に通された。
この部屋は静寂だが、外の生活音が心地良い。使者は柔らかく笑みを浮かべた。
「失礼いたします」
「露崎より、使者殿に御目通りが許されました。謁見の間まで御移動をお願いします」
「露崎殿が直に会うと申しておるのか?」
「左様。直接お話しくださるとのことです」
使者は深く息をつく。
「分かった」

露崎盛陸が謁見の間に入ってきたときには、使者は顔を隠すよう深々と頭をさげていた。
「是枝殿の使者よ。面をあげよ」
「は。恐れながら、歴戦によって顔にひどい傷がございます。覆いを取ることはご容赦ください」
「…よい。戦の傷は勲章じゃ」
「はは。かたじけない」
使者の外套の下は目以外は包帯で隠されている。よほど酷い傷か、火傷のようなものだろうか。
「して、是枝殿は弟君には託さず使者を送ってきた意味があるのであろうな」
「はい。武士の親善試合に合わせ、この地の暫定中立を約束されました。こちらが書簡でございます」
「直筆とはありがたい。元より獅政殿をお迎えしたいと思っていたのだか、此度の発起人は弟君であり、将軍は都に滞在しているとのこと。これで兄君の太鼓判を得たな」
「親善試合の間は、全国各地の戦も御預けとのお約束です。また、試合に必要な鎧や武器、馬具なども大量に持参しております。お納めください」
「かたじけない。城下より連絡は受けておる。ありがたく頂戴しよう」
露崎盛陸は、じっと使者を見て何か言いたげな表情を浮かべた。
「して、使者殿。共に戦ったことがあるように感じるが、名はなんと申す?」
「失礼いたしました。我は獅政殿の伝令。時に影も担っているため、ご容赦願いたい。」
「ふむ。まあ、よかろう。今宵は宴の席を設けておる。よろしければ出席ください」
「それは、ありがたいお申し出。」
使者は深く頭を下げた。

戦乱の世であっても、時に剣術や弓術の腕に自信があるものたちが競い合う場を設けることがある。
定期的にというわけではないが、大きな戦を終え、小競り合いはあっても各地の均衡が取れている落ち着いた期間に将軍が号令をかけるのだ。
ただ今回の場合、将軍是枝獅政ではなく、その弟是枝丈恩が発令したもので、若干異例な感じは否めない。
そこに将軍是枝獅政の後ろ盾を得たのだから、内心露崎盛陸はほっと胸を撫で下ろしていた。
全国各地から「我こそは」という猛者達が集まってきている。
しばらく是枝丈恩とその御一行をもてなさなくてはならないが、親善試合が無事に終わるまでは気が抜けない。

宴は是枝丈恩の趣向に合わせて質素倹約を美徳とするこの城では珍しいことに、かなり豪華であった。
是枝獅政氏の使者は苦笑いする。
弟君が随分と勝手な振る舞いをしている。
長期間、兄君が不在であるのを良いことに好き放題だ。
今回の親善試合も寝耳に水であったため、自分が急遽遣わされたのだ。

酒も入り、上機嫌になった是枝丈恩が厩橋城主に尋ねた。
「そちは、公家の姫の後見人をしているそうだな」
露崎盛陸は内心面白くなかったが、表情を変えずに答える。「はい。微力ながら姫君の後見人をさせていただいております」
「その姫はなかなかの美女だと聞いたぞ。是非ともお会いしてみたいものだ」
さすがにこれには一瞬、露崎盛陸も顔をしかめる。
この時代、成人した女性の顔を簡単に見ることは許されない。ましてや、天皇の血筋である高貴な姫君なら尚更だ。
「御冗談を。姫を幼き頃から後見しておりますが、この城にお迎えしている高貴な客人も同然。恐れながらそれは出来かねます」
是枝丈恩はニヤリと笑う。
「お主の嫡男も姫の美しさに当てられたらしいのう」
「恐れながら。泰志は勘当をした身であり、今や当家の嫡男ではございません」
「ははは…。姫の美しさにのぼせた息子を勘当したと申すのか?露崎泰志と言えば、兄上の腰巾着として名を上げている男だな」
「そのような話は耳にも入りません」
盛陸はふっと息を吐く。
「酒が足りないようですね。これ、殿に酒をお持ちしろ!」
是枝丈恩の側に座る武士が話に横入りした。
「なんと!露崎泰志は、ご城主殿のご子息か⁈やつめ故郷は無い根無草だとほざいておった」
ビクっと肩を動かした者が、この大広間に二人いた。
「勘当しておりますゆえ、間違いではございません」一人目が応える。
「彼奴の戦場での活躍はなかなかのものであったぞ」
長嶺義輝。傭兵から成り上がった手練れである。彼は自分の腕だけで傭兵から寺侍になり、現在は僧兵として身分を上げている。かなり酒が進んでいるのか本人には珍しく饒舌だ。
「お寺に使える貴殿が、酒を好み、人を斬るのは、なんとも解せませぬな」
「もとはこの腕だけが頼りの傭兵だ。仏に仕えたからとはいえ、趣向は変える意味が無い」
「義輝殿は特例じゃ」「左様」
長峰義輝の隣席に座る黒瀬宗久と角張重信も同意する。
この三名の武士は親善試合のために是枝丈恩に集められた精鋭で、親善試合の目玉となる予定である。
「親善試合には当の姫も観戦するのであろうな?」
「……」
「娯楽は少ない故、城下の民達も活気付いている。そうだ!勝者は姫から褒美をもらう、というのはどうであろう⁈」
名案だ!とばかりに長嶺義輝は現在の雇い主である是枝丈恩を見た。
「それは良い‼︎そういたせ」
上機嫌で丈恩は手を叩く。
「なっ、そのような事!」露崎盛陸が異を唱えようと立ち上がれば、同時に身を乗り出した是枝獅政の使者と目が合った。
長嶺義輝は顎を触り笑みを浮かべる。
「これはこれは、主君の兄君の使者殿だな。」
使者は『しまった』と座り直す。
将軍是枝家の兄弟間の不和は万人の知るところ。ここでの揉め事は避けたい。
城主露崎盛陸も察したようだ。
「長嶺殿、さあ酒を飲んでくだされ。試合に向けての調整はいかがなものか?」
「ああ、いつも通り。獅政殿の腰巾着と刃を交えられないのが残念だがな」
盛陸の息子泰志を匂わせるように言う。
「…」
是枝獅政の使者は拳を膝の上で握り、眼を瞑る。「幾度となく、その刃に負けているのは、貴殿ではないのか?」
小さな声だったが宴会場が静まり返っている為、離れて座る長嶺義輝の耳にも届いた。
「何を‼︎泰志はこの我には及ばぬ!戯言を‼︎」
「戯言と申すのであれば、朱鷺川の戦の時をお忘れになったのか⁈」
「⁈お主、朱鷺川にいたのか⁈」
露崎泰志は息子の勇姿を聞きたい気持ちと、場を収めたい気持ちとで一瞬二人の言い争いを止めるのに戸惑った。
勘当したとはいえ、息子の活躍を耳にするのは悪い気はしない。宴の後であの使者を再び呼び出そう、そう考えた。
逆に是枝丈恩は、お膳がひっくり返り今にも飛びかかる勢いの武士達を面白おかしく眺めていた。
「よいよい、やれやれ!余を楽しませろ‼︎」
血の気の多い若者達に酒も入り、お座敷は目も当てられぬ惨状だ。
「止められい‼︎今日はもうお開きといたしましょう。腕自慢は親善試合で十二分に発揮なされよ‼︎」
厩橋城主の静止によって、この日の宴は解散となった。

『言い返さず、心に留めておけば良いものを』と自身の未熟さにあきれながら帰り支度を始めた是枝獅政の使者を家臣が追いかけてきた。
「使者殿!待たれよ。主君がお呼びです」
使者は外套を深く被り一礼する。
「今宵は宴の席を設けていただき感謝いたします。城主殿は何用か?」
家臣は、声を顰める。
「我殿はご子息の武勇伝を聞きたいのです」
驚いたように使者は肩をすぼめる。
「某はただの伝令。誠に恐縮ながらご辞退いたします。今宵は少なからず騒ぎを起こしてしまったこと、露崎殿にくれぐれもよろしく」
使者は一礼した。それをさらに引き止める。
「我々家臣も、若様の話を聞きたいのです。理不尽に勘当されましたが、露崎家は若様が必要です。些細なことでも良い。若様の活躍が聞きたいのです!」
包帯の下で使者の目が優しくなった。
「ただ、息災だとお伝えください」

『早く城内から退出しなければ』
歩みを早める使者に待ち伏せしていた女中が声を掛けた。
「是枝獅政殿の使者と聞き及びました。つきましては我らの姫君がお話を伺いたいと申しております。」
「⁈」使者は足を止める。
「しかしながら、御前にての御目通りは憚られます。ご辞退させていただきたい」
先程の家臣へ答えた通りに伝える。
「そこを何とか。姫君は若様のご武運を毎日祈っております。少しだけでも、どんなことでも貴殿の見聞きしたことを姫君に直接お話しください」
あまりにも女中が熱心に頼むので、使者も頷くよりなかった。
「恐れながら、自分は顔に酷い傷を負っております。一間ほどの距離をお願いします」
「あい分かりました。ですが姫君は傷などお気になさいません。戦にて負われた傷ならば尚更尊いとお考えです」
「かたじけない」
女中に連れられ奥座敷に通される。
本丸からは離れているが、警備は厳重だ。
そこに厩橋城主露崎盛陸が後見している瑠奈姫がいた。
瑠奈姫の母はもともと都からこの地に嫁いできた先の帝の妹君橘の姫だ。瑠奈姫はその連れ子であり、実の父は早くに亡くなっている。未亡人となった橘の姫を不憫に思った当時の帝が露崎盛陸の主君であった榊原景綱に降家させたのだ。
橘の姫は榊原家に嫁いできて数年、榊原景綱に守られながら穏やかに暮らしていたが流行病で早世してしまう。更に続いた戦にて榊原景綱自身も討ち死にした。
榊原景綱にも前妻との間に一人息子がいたが、まだ幼く城主の任は相応しくないとして家督は重臣だった露崎盛陸に渡ったのである。

そのような経緯から、瑠奈姫は縁の薄い厩橋城で露崎盛陸の後見を得ることとなる。
榊原景綱の忠臣だった露崎盛陸は景綱への忠義心から、残された景綱の嫡男である榊原厚真と橘の姫の忘形見瑠奈姫を結婚させて榊原家の復興しようと願っているのだ。
瑠奈姫も厚真も自身の嫡男である泰志も年齢が近かったため幼き頃より兄妹のように育った。
露崎盛陸も三人を我が子同然として育て、愛情を注いできたのだが…、予定が狂いだしたのは、実子露崎泰志と瑠奈姫が想いあっていると気づいた時だ。
泰志には、他の二人以上に期待をし、二人以上に厳しく接した。嬉しいことに泰志は盛陸の期待を裏切らず、頭角を現していた矢先、姫への気持ちを打ち明けられたのである。更には瑠奈姫も同様だということ。それを知ったときの驚きはいかほどか⁈
厩橋城の尊敬する亡き領主のためにじっくりと温めてきた計画が崩れてしまう。
前君主への忠義から、やむなく息子を勘当したのである。

「無理なお願いをよくぞきいてくださいましたね」
優しく瑠奈姫が使者に声を掛ける。
「もったいなきお言葉…」
「…」
少し考えるようにして瑠奈姫は問いかけた。
「どこかでお話をしたことが?」
「いえ、はじめてお目にかかります」将軍の使者は頭を下げた。
「ごめんなさいね。ここまで来ていただいたのは、わたしの幼馴染のお話をしてほしいからなの」
瑠奈姫はゆっくり続ける。
「露崎泰志殿のあなたが知っているお話を聞かせてちょうだい」
恐る恐る使者は顔を上げる。
外套を被り、顔には包帯を巻いているが、その目はしっかりと少し離れた上座に座る瑠奈姫を捉えた。
「露崎泰志殿とはそれほど親しくはありませんが、同じ将軍のお側に仕えておりますので、その戦いぶりはこの目で見ております。
先の朱鷺川の戦いでの活躍は、露崎殿の名を知らしめる良い機会でございました。また先程の宴で同席した長嶺義輝の裏切りを許さず、回避したのも露崎殿の功績です。」
「今この城にお客でいらした武士様が裏切りを?」
「表立っては騒がれておりませんが、長嶺殿は是枝丈恩殿の手のもの。丈恩殿が兄将軍の後釜を狙っているのはご存知ですね」
「はい。家督争いがあるというのは聞いたことがあります」
「隙あれば、兄君を亡き者にしようと小細工しているのです。戦いの中でも味方の手のひら返しに注意しないといけません」
「なんて恐ろしいこと」
瑠奈姫は小さく震える。
「そんな中、彼の方は将軍のお側で守っていらっしゃるのですね」
「将軍の覚えも良いようです。今では総大将を任せられているとか」
「まあ、それほどのご活躍を?厩橋には戻ってくるおつもりは無いのでしょうか?」
「いや、いつかは戻りたいと申しておりました。姫君の身を案じておりました」
「わたくしのこともお話しに?」
「あ、いや、その。酒の席で少しですが…」
「彼の方がわたしをお忘れになっていないことが分かっただけでも、しばらく生きる希望にできます。使者殿ありがとうございます。これ、使者殿にお礼をお渡しして」
瑠奈姫は立ち上がり、名残惜しそうに声をかけた。
「使者殿、お怪我が早く治りますよう。毎日のお祈りにあなたのことも加えますね。
どうぞお達者で」
「は。ありがたきお言葉…」
使者は瑠奈姫が退出した後もしばらくその後から目を離せないでいた。

奥座敷を辞して城門に向かう途中、宴会の席で言い合った長嶺義輝が黒瀬宗久と角張重信と談笑しているのが見えた。
見つかるとまずい、という思いから気配を消して遠回りに通り過ぎようとしたとき、三人の不穏な会話が聞こえてきた。
「城下に安東伊作が下等な宿しか取れず難儀しているようだぞ」
「安東伊作?大金持ちの異邦人だな?」
「護衛はいないのか?」
「今あちこち親善試合のために人手不足だろ?金を積んでも集まらないんじゃないのか?」
「それは…、明け方にやるか⁈」

使者はどきりとする。
武士の端くれたる者達、しかもそれぞれ城を構える武将が、山賊の真似事でもするのか?信じられない。
何食わぬ顔で城を抜け出し、使者は城下町へ急いだ。



つづく