寒い寒いと言われてますが、
昨日の東京は雪が混じりましたね。
2021年、1月の営業日も今日で最後
週明けはもう2月でございます。
早いですねー。
ここのところ、個人的に凝っております
『自分の夢を物語のように発表する』
ということをやってまして、
怖かった夢は意外と鮮明に覚えているので、
それをブログで書いて、
自分で夢診断したり、
コメントでたくさんの方に診断してもらったりしておりました。
そんな中で
夜明けのカモというタイトルで挙げたブログに
おじいちゃんの畑が出てくる節があり、
『それはおじいちゃんのことを尊敬している』
と、いう面を指摘頂きました。
おじいちゃん。
今まで語ったことのないエピソードがあるので、
ここで語らせてください。
大まかには僕の後悔の話なのです。
もう、おじいちゃんは僕が大学3年の子供の日に亡くなってしまってます。
すごい仲良いというわけでもなく、
それこそ男同士なので、
自分のある程度のテリトリーでしか、
コミュニケーションはありませんでした。
当然、可愛がってくれていたと思います。
高校くらいから、
僕自身も反抗期思春期に入っておりまして、
それも変な拗らせ方だったのです。
自分でいうのも恥ずかしいですが、
親や信頼関係にはあまり表立って喋らないような、気難しい感じの青年だったと思います。
それもお恥ずかしながら結構長くて、
30歳くらいまではそんな自分を引きずってたかもしれません。
急に不機嫌になったりとか、
怒ったりとか。
そんな僕が20歳の初めて迎えた正月。
僕の父も長男で、
おじいちゃん家族とうちとの2世帯住宅でしたので、正月は親戚が集まって新年会がありました。
その席で20歳となり、
成人となる僕におじいちゃんは、僕にお酒をつごうとし、徳利を僕に向けてきました。
確か、おめでとうと
一言添えてくれていたと思います。
あまりお酒の好きではない自分と、
そういう雰囲気に馴染めない自分でありましたから、
僕はそれを拒否してしまったんですよね。
拒否した後、
テツヤはお酒が苦手だからと、
母がフォローしたのを覚えています。
僕もそのあと、
何故かおじいちゃんの顔を
上手く見れなかったのを覚えてます。
それから1年後くらいにおじいちゃんは亡くなりました。
あの頃の自分は、
何にもなりきれないでくのぼうでした。
今でも自分の不甲斐なさに
かぁっと顔が熱くなったりします。
親父はおじいちゃんと話をしたのだろうか。
一応、こんな話もできるようになれたのは、
あの頃よりは成長しているんだと思います。
と、いう後悔の話でした。
ノート

