さて、先日六本木のサントリー美術館で英一蝶展の最終日を観た後で訪れたのが泉屋博古館東京おねがい

 

開催されていた展覧会がコレ立ち上がる

 

 

友達から「こんなんやってるで!」って教えてもらったので、全く知らない画家さんだったんだけど、

日本画ではなくパンクな気分で行ってみたんだハイハイ

もちろんチラシは「インパクト」と「アハキズム」の文字だけ頭に飛び込んで来たけどその他の文字は見ず、中央の絵からゴーギャンのタヒチぽさを感じただけで、予習することもなく向かったんだ。

この美術館へは以前何回か行ったことがあるけど、かなり小ぶりな感じだったので、それほど展示数も多くないしな〜って思って舐めていたのは事実だけどねニコニコ

 

サントリー美術館のある六本木ミッドタウンから歩いて20分くらいで到着!

 

 

以前と何か作りが違うような感じもしたけど、とりあえず入場歩く

 

 

いきなりロビーに撮影可の横幅2メートルくらいの大判の絵が展示されていたんだ。

尾竹国観《絵踏》明治41年(1908) 泉屋博古館東京蔵

 

禁教令下の江戸時代にキリスト教信者を見つけ出すため、磔刑像や聖母子像など、キリスト教にまつわる図像を踏ませた絵踏を描く。絵踏という画題は、明治末頃から流行の見られた南蛮趣味を背景としたもので、明治期にはキリスト教関連の作品が多く描かれるが、本作はそのなかでもごく初期に制作されたもの。中央で役人から絵踏を促されている女性と、それを囲む老若男女、外国人も交えて41名の人物が配されている。群像画における人物描写の多様さは国観作品のひとつの特徴であり、本作でもそれが遺憾なく発揮されている。

(美術館のキャプションより)

 

チラシの印象とは真逆の正統派歴史画

 

想像していたものとのあまりのギャップがインパクトありすぎたんだニコニコ

 

この絵の横にこの絵の裏話のようなものがあったんだけど、どーもすぐには頭に入ってこないので写真を撮って後で読もうかなって思ってパシャリしたら学芸員が飛んで来て「撮ったらアカン」ちゅーて怒られたんだぐすん

しゃーないから、必死で記憶したんやほんわか

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この国観の「絵踏」は上野公園のなんちゃら館っちゅうとこで開催された国画玉成会の展覧会に出品されたんや。ところが、竹坡が「玉成会は1回だけやって審査員決める時に、ワシは幹事やってたけど、岡倉さんが会長しながら幹事に相談もせんと審査員を決めはってん。それが気に入らんかったんで怒ったんや。それで玉成会は1回で終わったんですわ」っちゅうように、展覧会が始まった三日後に開かれた懇親会の席で、審査員の選び方に不満を抱いた竹坡が岡倉天心とぶつかって、その場で玉成会を退会したんや。それに従う形で国観も兄に続いて退会したんや。それで展示中やった竹坡の「仏舎利分与」(所在不明)とともに、国観の「絵踏」も会場から撤去されて、竹坡と国観は日本美術院と訣別することになったんや。  その後、長い間行方不明になってたこの作品は、国観の子孫の手に渡って、令和4年に当館へ寄贈いただいたんや。その時点で痛みが激しかたやけどいろいろ修復しましたんですわ。

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みたいなことが実際は東京言葉で書いてあったんだ。

オタケさんはって思って何度も読んだんだけど登場せず、岡倉天心さんの名前しか認識できなかったんだ。

まあ、直後の展示の章の説明分でオタケは尾竹で三兄弟でそれぞれ絵を描いていて今回はその3人の作品の展覧会ってようやくわかったんだうさぎのぬいぐるみ

しかしその章のタイトルと説明文がまた難解で タイトルは「タツキの為めの仕事に専念したのです」驚き

そして三兄弟の名前は本名と画家名があったりなかったりで理解するのに時間を要したんだ。

授業も出てないし予習もしないで学期末試験に臨んだ学生みたいな感じだったんだ。

三兄弟の名前(画家名)は 国一(越堂) 、竹坡(竹坡)、国坡(国観)。そしてタツキは父でも母のことでもましてや兄弟の誰かの配偶者でもなく、「タツキ」は「生計」って意味で人の名前ではなかったんだニコニコ

そんなわけで尾竹三兄弟は生活のために富山の薬のおまけにつける絵(売薬版画)などの商業画を描いたのがそもそもの始まりだったらしんだ。

その後、下の二人が東京に行き本格的に絵画を学び帝展の前進の文展で上位入賞するなどして一気にブレークするも岡倉天心と対立したりして、画壇の新しい波からも弾き出て、活動を続け文展で高評価を受け続けるも横山大観に妬まれ文展では落選させられることになったんだ。その後竹坡は画壇の古い体質を変えるべく衆院議員選挙に出て落選したりしてたんだ。それで竹坡はこれまで描いていた歴史画から一気に宇宙にまで視野を広げて洋画の要素も盛り込みアバンギャルドかシュールかみたいな絵を描き始め、また暫くすると元の落ち着いた日本画を描いて旅だって行ったんだ。尾竹三兄弟のうちで多彩な絵を描いたり、言論が激しかったのは竹坡で長兄は下の二人が活躍してから便乗的に東京に出て来ただけだし、一番下の国観は終始歴史画を描き続けてたみたいなんだ。そんなことがこの展覧会をきっかけにネットの記事として溢れているんだ。

 

今回は前期でアバンギャルド期の絵が少なかったこともありチラシとのギャップが大きかったので後期展示でそのギャップを埋まるか楽しみにしているんだおやすみ

 

 

今回観た中で一番気に入ったのがこれなんだおやすみ

 

尾竹竹坡 ≪花吹雪≫ 明治後期〜大正 宮城県美術館蔵

 

実物はグラデーションなどという表現が陳腐に感じるほど

すっごく淡い色が入り混じり変化してるんだ。

 

 

参考までにアバンギャルド期の絵で今回展示されていたのがこれ

 

 尾竹竹坡  ≪月の潤い・太陽の熱・星の冷え≫  大正9年(1920)宮城県美術館蔵

 

 

それと、これ

尾竹竹坡  ≪大漁図(漁に行け)≫  大正9年(1920) 個人蔵

 

 

 

 

国観の歴史画でこの絵も良かったんだおねがい

尾竹国観 ≪油断≫ 明治42年(1909年) 東京国立近代美術館蔵

 

これは特定の場面(時間や場所)を描いたのではなく一般的な場面らしいんだ。

俺は「油断」と言えば「桶狭間」や「一ノ谷」を連想してしまうんだ。

まあ、似たようなことは歴史上では何度もあったんだろうなって思うんだニヤリ

 

 

 

ちょっとチラシ負けした展覧会ではあったんだけど、全く知らない画家とその生涯に触れられて新鮮な気分になったんだ。

 

恐らく封建的な日本画壇から零れ落ちた画家は数多いるのであろう、まだまだ掘ってもらいたいし俺も掘りたいって思っているんだおねがい