小学4年生で側弯症と診断されたスリヤ。

そこからガラっと性格も変わったような気がします。
両親の前で明るく振る舞う私でしたが
明るく振る舞うのは辛い時に自分で自分を卑下しておちゃらけて誤魔化す時でした。

けれどまだ小4の段階ではリブハンプはそこまで目立たず
好きな服は着ていました。
ただ
胸が成長し始めると共に何となくの左右差が出てきていて
中学に上がる頃にはすでにブラジャーにパットを付けていました(泣)

元々インドア系のスリヤは更にインドア系になり
今の妄想族の原点となった
妄想にふけって逃げる、という現実逃避を編み出しました(笑)

しかし何故か勉強だけは負けず嫌いで
小学4年生からは塾に通い、テストは必ず上位をキープしていました。
塾に行く前に予習していく真面目さ!
やれば結果が出るってすごいですよね。
英語は暗記すれば結果が出るのが楽しくて、今でも英語の勉強は私のライフワークです。

側弯体操なんてしてもしても病気は良くならないのに
勉強はすればするだけ成果が出るのが楽しかったです。

そしてその冬
私は千葉の伯母宅に預けられ
千葉から東京の中野にある
磯谷式という民間療法に毎日通うことになります。
この時は母も兄弟も一緒に伯母宅へ行き数日間お世話になりました。
この磯貝式、全ては股関節からという理念の元運営されており
まずはヨガマットみたいな物が沢山ある部屋で寝て
普通に寝転んでつま先の向きを調べられます。
これは整体でもよくやりますよね。
この股関節の調整をして貰い
寝転んだまま股関節を正しい位置にキープするため、足を縛られます。
寝転んだ後は正座で膝の上を縛り
上半身は大きなクッションにもたれかかり正座のままで背中を柔軟させます。

その後はこれでもか!といわんばかりに
椅子に座り股関節の向きを調節して椅子の脚に自分の足を紐で縛って股関節を癖づけます。
とにかく股関節を正しい向きに!が重要だったよう。

そしてその癖付けの時間はとっても
暇!
1つの癖付けに15分以上は掛かっていました。

さーらーにー

その正しい位置の股関節で筋肉を付ける為に軽い屈伸運動をさせられます。

これがしんどくてね~!

私の記憶だと1回20分くらいだった気がしてたけど
妹に聞いたら1時間ぐらいはやってたで?って。

軽い屈伸運動なので深く屈伸しない分、惰性で動けばいいのでしんどさよりも暇さが勝ちました。
そして屈伸運動は窓際でやるんですが
下を見ると中野の町が見えるんです。
最初の数日間は母と妹と弟が付いて来ていたのですが
当時、ちょうどその施設の真下には自販機ばかりとソファーのある無人の施設があったのですが
下を見ながら屈伸運動をしていたら
妹と弟がその施設に遊びに行っているのが見えて
なんで私だけこんなに辛い事をしなくちゃいけないんだろう、と悲しくなりました。

数日後、伯母宅から母と妹と弟が帰ってしまう時
電車の窓からバイバイしている妹の顔は泣き笑いみたいな顔をしていて
それを見たら本当に寂しくなりました。
もう下を見ても兄弟は居ないんだな~と思うと屈伸運動をしながらちょっと涙が出ました。

バトンタッチでおばあちゃんが付き添いで来てくれましたが
やっぱり兄弟のいる楽しさとはちょっと違うから…

しかもこの磯谷式、寝る時は足を3点縛って寝るのです。
凄いしんどい割に朝になったらゆるゆるにはずれてるし
何が治ってるやら分かりませんでした。

そんな治療を年末の冬休み頭から始めて
新学期が始まっても学校を休んでまだ治療をしていました。
よそのお家でお正月を迎えたのは始めて。
伯母の舅、姑さんにご挨拶にも行きました。
超アウェイでした(汗)
初めて会った人のお家でお正月を過ごすなんて凄く緊張したし
なんなら舅さんが社長だった為、一人一人、舅さんの前で手を付いて新年の挨拶をし
今年の抱負を述べるという
自宅では全く縁の無かった事にまで遭遇し
帰りたくて仕方がなかったです。

そんな中、年始に福袋を買ったのですが
その中にくまのぬいぐるみが入っており
余りに家族が恋しかったので私はそのくまを家族として伯母の家で手放さず持ち歩いていました。
なんなら今、そのくまさんは姪が持ってます(笑)

可愛いもの好きになったのはこれがきっかけだろうなぁ~。

この民間療法
しんどいだけじゃなく
私をすーっごい寂しがり屋にさせました。

しかも!
このアウェイの状況で初潮を迎えるという
初潮が親戚一同に知れ渡るという当時の自分にとって最悪な事態まで起こり…

悪いことは重なるもんだ…もう死んだ方がまし…

と、もう憂鬱の絶頂(笑)

初めて私の生理を知ったのは叔母と祖母でした(笑)


こちらの民間療法
最後の日には背骨をなぞって確かめ

『側弯症は治りましたよ!』

と、言ってくれ
付き添いの祖母は
ありがとうございます、ありがとうございますと
何度もお礼を言っていましたが
次の阪大の検診でも全く変わりなく曲がっていましたとさ!(笑)

本当にこの時間、お金、心の傷
無駄ばかりの治療法でした。

でも手術について医師以外に詳しいことの分からない1990年には仕方がなかったのかもしれません。


※これを書いていたらエネルギーを根こそぎ奪われて生ける屍と化しているので(笑)
コメントのお返事は少々お待ち下さいね。
いつもコメント本当にありがとうございます♪