今回からちょっと自分振り返り系のブログを書いてupしていきたいと思います。
カテゴリーはmy storiesなので興味の無い方は飛ばしてね!
なぜわざわざ振り返ってゆくのかは最後のストーリーに書かせて頂きますね。
スリヤの人生って昼ドラみたい、ってよく言われます(笑)
お暇な方は良ければお読み下さいませ。
私は側弯症に10才でかかった以外には
生後まもなく髄膜炎を患い長期入院。
今日が峠です、なんてドラマみたいな言葉をその時の医師に言われたそう。
覚悟した母はその日の写真を山ほど撮って残していてくれたのですが
その可愛いこと可愛いこと(笑)
自分で言うな、ですね(笑)
私は言葉が早かったそうなのですが
腰椎穿刺の時に初めての言葉
『いたい』
を発したそう。
なんか
今の自分を暗示しているようでジワジワきますね(汗)
程なく退院、妹と弟も出来
庭でせっせと泥遊びしたり
庭の松の木に砂糖水を塗ってカブトムシを捕まえてみようと試したりしていました。
勿論捕まらず(笑)
絵を描いたりクリエイティブな事が好きだった子供時代でした。
妹と弟がファミコンをしている時も私はゲームよりゲームをしている彼らを見ているのが楽しくて後ろでよく見ていました。
正座しながら上半身が動くのが後ろから見ていて面白かった(笑)
パーマン変身セットとかよく覚えています。
ヘルメットとマント付きでした。
私は4つ年下の弟が可愛くて可愛くて物凄く可愛がりました。
勿論妹も可愛かったけれど、妹は年が2つしか離れていなかったので
どちらかというと喧嘩になりやすかったのです。
パーマン変身セットは人形遊びをしない弟がよく遊んでましたね。
あとそれから、弟はウルトラマンなどのフィギュアにハマっていましたなぁ。
のびのび過ごした子供時代
なんの曇りもないような幸せに見えて
実は我が家は毒親が2人揃ってしまった残念なシチュエーションでした。
まず父は4人兄弟の末っ子。
デパートに就職しましたが全てのお金をギャンブルにつぎ込みます。
お金が無くなったら土地持ち、山持ちの末っ子の可愛い息子に祖母(母から見た姑)がいくらでもお金をくれたのです。
と、いうわけで
真面目に働いているかに見えて
母との出会いはデパートの部下である母に
父がお金を貸してくれなんて無心した事から始まります(汗)
そしてそれが父の一目惚れ、母が実家に帰ったある日、いきなり先方が母の実家に現れ
嫁に来て下さい、とお姑さんに頭を下げられるという…。
母はいきなり本州から香川までやってきた事に心底びっくりしたようですが、祖母はその時すでに夫を無くしていた為、早く末の娘を嫁にやらなければ、と案じていた為すぐに承知。
結納へGO!
そんな、付き合ってもいないのにお金を貸した縁で結婚しちゃった二人が私の父と母です(笑)
母は父のギャンブル癖が心底嫌で
私も土日に大好きな父が居ない事が寂しくて仕方がない。
母は3人の育児でいっぱいいっぱい。
一時期はメンタルを病んで寝たきりになりながら子育てをしていました。
ある時弟が寝ている時に引きつけを起こして救急車で運ばれました。
呼吸が数分間止まり、退院してきた時の弟はまるで弟じゃないようでした。
なにもかもがギクシャクしているし、すぐに癇癪を起こすようになっていました。
コップの持ち方も箸の持ち方も変わっていました。
顔つきすら何か違ったんです。
しかしその当時にそういった子を集中的にケアしてくれる施設や情報もなく
父はギャンブルしかしない。
子育てに父は全く関わりませんでした。
そんな子育ての中、母のヒステリーがどんどん酷くなり
最終的に私が暴力の対象となりました。
物を投げられたり、掃除機で吸われたり(汗)
それでも両親が大好きだった私は色んな無理をしながら成長しました。
両親に気に入られるように底抜けに明るいキャラを作り上げました。
そう、側弯症になるまでは(汗)