今月はちょくちょく劇場に足を運ぶことが多いのですが、
昨日、
観てまいりました、
観てまいりました、
「米軍史上最多、
160人を狙撃した、
ひとりの優しい父親。」
160人を狙撃した、
ひとりの優しい父親。」
クリント・イーストウッド監督作品。
2003年からのイラク戦争において、
味方からは「伝説の狙撃主」と英雄視され、
そして、
敵からは「ラマディの悪魔」と恐れられた一人の男、
そして、
敵からは「ラマディの悪魔」と恐れられた一人の男、
クリス・カイルの実話をもとにした作品。
ネタバレしかねないので、
内容には触れませんが、
内容には触れませんが、
改めて戦争というものを考えさせられる2時間でした。
場所や環境が違えば、
戦争という異常な事態が、
戦争という異常な事態が、
「日常」であったり、
「非日常」であったりする。
「非日常」であったりする。
我々、
今の日本に住む者にしてみれば、
戦争は全くの「非日常」。
今の日本に住む者にしてみれば、
戦争は全くの「非日常」。
実際の戦争の凄惨さは想像の域を出ず、
戦闘を意識することも無く生活するのが「日常」であるから。
戦闘を意識することも無く生活するのが「日常」であるから。
しかし、
その両方に身を置く者にしてみれば、
その両方に身を置く者にしてみれば、
その両極端な世界が、
どちらも「日常」であるわけで。
どちらも「日常」であるわけで。
人を殺すことが、
悪とされる世界。
悪とされる世界。
人を殺すことで、
英雄と呼ばれる世界。
英雄と呼ばれる世界。
その狭間で狂いだす様々な歯車。
人間は機械ではないのだ。
人間は機械ではないのだ。
本当の正義とは何?
本当に戦うべきものは何?
本当に守らなければいけないものは何?
本当に大切なものは何?
簡単な話ではありません。
この映画のモデルとなった、
クリス・カイル氏は
クリス・カイル氏は
2013年2月2日、
38歳でお亡くなりになっています。
38歳でお亡くなりになっています。
しかし亡くなったのは、
戦場ではありません。
戦場ではありません。
人を殺すことが、
悪とされる、
悪とされる、
この「日常」の世界です。
(なお射殺であり、射殺犯は現在も裁判中です。)
(→※2/24追加:射殺犯は「仮釈放なしの終身刑」となりました。)
(なお射殺であり、射殺犯は現在も裁判中です。)
(→※2/24追加:射殺犯は「仮釈放なしの終身刑」となりました。)
何とも言葉になりませんね。
今また中東は危険な空気が漂い、
否応なしに我が国も巻き込まれています。
否応なしに我が国も巻き込まれています。
こんな時代だからこそ、
見ておくべき映画かもしれません。
見ておくべき映画かもしれません。
森山田