ブログやめたわけじゃありません。
サボってたのでもありません。
めんどくさかったらけれす。

毎年、
夏休みの宿題は、
最後の3日間が勝負。

3日で終わるなら、
初めの3日でやればええのにな。

いや結局、
3日じゃ終わらないんですがよ。

いいかげんもう9月ですので、
今月の備忘録をば。

えー、
8/12、
仙台行ってきました。
牛タンが食べたくて。

メンバーは毎度の店長と社長とわし。
当日は早朝から大きめの地震
M6.0福島沖、
震度5弱。

先日(11日)の夜(というかこの数時間前)にも震度4があったばかり。
毎月11日前後はほぼ必ず大きめの揺れがありますな。

さて仙台行きとなると、
高速道路の利用を当然の如く当て込んでいたところが、
この地震で一部通行止め。

延期の話も出たが、
この日を逃すと、
間違いなくお盆の帰省ラッシュにぶち当たる。
それは御免。

結果、
途中で通行止め解除を期待し、
半ば見切りで朝5時過ぎ出立。

案の定、
数時間で通行止め解除につき、
常磐道から磐越道を経由して東北道へ。

ちなみに我が居住地は、
いわゆる被災地につき。
現在高速道路は一定区間タダです。

今回の行動は、
観光目的になるのでしょうが、
悪びれず利用します。

何より被災地に赴き、
そこでお金を使う。

これが重要だと思い、
動いた計画です。

行路4時間弱、
少々の渋滞もありながら、
仙台市内到着。

昼前だったので、
青葉城へ。

仙台藩62万石、
城跡のある青葉山は、
広瀬川を目の前に仙台市街を一望出来ます。

お約束の東北の雄、
伊達政宗公の立像を一枚。
とは言いながら十数枚撮影www

その立像の近くに、
昭忠塔という20mくらいの石塔があります。

明治期の日本の国内外の戦いで亡くなった、
東北の将兵の方々の尊き犠牲を悼み1902年に建てられたものです。

このてっぺんには、
翼幅6.7mのかなり立派なトビのブロンズ像が乗っていたのですが、
これも先の地震で塔の前に落下していました。

何とも悲しい構図です。

楽天イーグルスの皆さま、
ワシもトビも同じタカ科の仲間、
面倒みてやっちゃくれませんかネェ?

ひととおり見回し、
護国神社で神籤を引き、
ずんだの団子を食し、

時刻も程良い頃合、
目的の牛タン屋へ。

有名どころの店もよかったが、
社長お勧めの店があるとのことで、

ささと向かう。

コインパーキングに駐車。
青葉区一番町「仙臺牛たん(たか)」。

店奥を改装か修繕中かの感じ。

ランチの時間帯になったばかりなので、
我々以外にまだ客はおらず、
奥のテーブル席に陣取る。

牛タン定食はランチにつき、
1800円→1300円!

テレビでは「笑っていいとも!」が、
アナログ波にて放送中。

数分後、
牛タンスープが先に配膳。
牛タンと塩胡椒少々とネギだけなんでしょうが、
しっかりとうま味が出ております。

弥が上にも高まる期待www

しばらくしてお待ちかね、
牛タン定食!

即、
食す。

おぉ牛タン独特の歯応えを残しながらも、
何と柔らかきことかwww
噛み締めますわい。

んで麦飯♪

付け合わせの漬物ナニコレ、
茄子の辛子漬けってか!
うめぇ!
これだけでもご飯2杯はいけそうだなオイ。

して、
サクッと食し終わる。
往路食欲に抗えずに常に何かを食いながら来た馬鹿者には丁度よい腹具合。

満腹満足。

腹ごなしに、
市内練り歩き。

さすが杜の都仙台、
政令指定都市は伊達じゃないwww

大きな街ですなぁ。

失礼ながら、
ここまで大きいとは思っておりませんでした。

数時間ブラブラして、
社長のあんよの都合もあるので、
車移動に切り替え。

タイトに予定は決めてなかったので、
続いて松島方面へ向かう。

あたくしここは、
20世紀に一回来た事ありんす。
フェリーに乗って遊覧致しました。

二回目がこういう訪問とは、
思ってもおりませんでした。

ざっと見た限り、
何かと気付かぬ風景。

しかし海岸沿いは大変だったと察し致すところです。

時間的にフェリー遊覧は無理だったので、
笹かま食いたさに阿部蒲鉾店に寄りましたwww

このお店は笹かまを自分で炙れます(他店舗も出来るんでしょうかね?)。

いつものように「オレ天才」だの何だの言いながら、
自分の炙り手際を自画自賛しつつ楽しく頂きました。

土産の笹かまセットと道中のおやつ笹かまを購入し、
店の外で売っていた「冷やしたい焼き」なるものも同じく購入。

日も沈み始めたので、
帰路へ。


海沿いをしばらく走っていました。

所々に歪んだままの建家や、
おそらく放棄されたのであろう家屋、
2時50分あたりを指したままの大きな時計。

私も結構な揺れを経験した一人ではありますが、
津波による被害は受けていません。

私の目に小さく映ったそれらのものは、
やはりショッキングでした。

でもそれ以上に、
逞しく生活している方々には心強さも感じました。

しかし私が見てきたものは、
被災地の全てではなく、

これを以て全てを語るのは、
あまりにも軽率。

いまだに明日の事すらままならない状況の方々だっている。
それも重々承知。

でも思わずにはいられなかった。
「頑張ってください」と。




また行きたいと思った。


そんなお盆前の一日のこと。










森山田(写真は後日追加予定)