話によると、
総ての道はローマに通じているらしいんですが、
うちの目の前の道はそうでもなさそうです。

そんな道でも、
ここには間違いなく通じているのだよ。

日本橋↓。
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この前の日曜、
「橋」を見てきました。

目的は本当に橋見物www

何を隠そう、
隠しはしませんが、

本年2011年は、
現在の日本橋架橋100周年!

1911年つまり明治44年に現在の石橋が造られた訳ですな。

開橋したのは1911年4月3日、
ここ数月はそれを記念し、
様々なイベントも予定されていたのですが、

先の震災のこともあり、
そのほとんどが中止です。

残念ではありますが、
気分的にもこればかりはしょうがない。
かくオイラも見物予定がひと月以上ずれ込んでしまいました。

もとい、
この日本橋、
石橋にするにあたり、
日本各地よりその石材が厳選され集められました。

今回同行した親分は、
実家の家業が石屋。

地元の稲田白御影石が使われており、
フムフムと誇らしげに観察しておりました。

それにしても100年経ったとは思えないほど、
しっかりしております。

かつては市電が走り、
東京の名所でもあったこの橋、
関東大震災にも耐えたのも伊達じゃない。

今は頭上を高速が走り、
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橋長も橋幅も取り立てて言うほどの規模ではなく、
非常に地味な存在には思えますが、

やはりそれでも日本橋、
何かと格が違います。

橋に掲げられている「日本橋」「にほんはし」の文字は、
江戸幕府最後の征夷大将軍、
徳川慶喜公による揮毫のもの。
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また橋の中央には「日本国道路元標」、
こちらの文字は、
第61-63第内閣総理大臣、
佐藤栄作氏によるもの。

国道一号線の起点でもあります。

つまり極論、
ここから向かう車は全て「下り」www

全国の道路標識の、
「東京まであと○○Km」は、
ここからの距離が測られる訳ですね。

ここ以外の都市は大体が役所が起点になってるそうですが、
東京は新宿にあらず、
日本橋なのです。

橋の北西側に元標のレプリカが置いてあります。
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市電が走っていた頃は、
その都合上、
現在のように路面に元標が埋められていた訳ではなく、
鉄柱が元標でした。

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その鉄柱も並んで飾られています。

目をこらしてよく見ると、
「東京市道路元標」
となってます。

この、
「東京市道路元標」と、
「日本国道路元標」がどういった関係なのか、
またこれらの法的根拠は知りませんが、

この国特有の、
「なんか知らんけど既成事実だからいいんじゃん」的な、
ゆったり感でとらえられてんでしょうか?

ユルいwww


橋の装飾もいい感じです。

獅子と麒麟。

阿と吽がそれぞれ2体、
4体ずつ
都合8体。

獅子の足元には、
東京市の市章でしょうかね?
現在の東京都の都章とはちょっとバランスが違う感じです。
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麒麟にはなんと羽根がついてます。
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イカすぜ!
でもちょっと怖いぜ!

これらの聖獣に守られてるから、
東京は意外に安全なのですな。


他にも歴史というか、
様々な記録が残っています。

橋の北東の見難い位置に、
関東大震災の(復旧に五万余円(当時)かかったんだよとかの)プレートがはめ込まれてたり、
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焼夷弾でせうか?
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焼け跡であったり、
橋の裏には未だにススがついてたりしてます。


こんだけ見所ある橋もそうそう無いでしょう。





そのあと、
貨幣博物館やら近辺をブラブラしましたとさ。



ビバ日本橋!





写真並べとく。

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日本橋は石の街だね。









森山田