どうもなんだか、
2月頃から、
2月頃から、
このブログにありがちな、
テンションだけ高めで内容のない記事が、
全くと言ってもいいほど書けなかったのですよ。
テンションだけ高めで内容のない記事が、
全くと言ってもいいほど書けなかったのですよ。
記事も書いては消し、
消しては書き、
消しては書き、
スランプとかではなく、
あれ食ったとか、
これ買ったとか、
どこ行ったとか、
これ買ったとか、
どこ行ったとか、
そんなものばかりではあるんですが、
題材はいつものように色々とあった訳で。
題材はいつものように色々とあった訳で。
しかし何故か、
upするまでには至らず。
upするまでには至らず。
サボっていると言えばそれまでですが、
なんか気が乗らなかったのですよ。
なんか気が乗らなかったのですよ。
記事の本数が極端に減ってるのは、
そのせいなのです。
そのせいなのです。
そこにきて先月のまさかの大震災。
ああこれかと。
何も自分が予知能力や、
特殊な何かを持っている訳じゃないのですが、
特殊な何かを持っている訳じゃないのですが、
世の流れとして、
そうなることというものは、
そうなる以外ない。
そうなることというものは、
そうなる以外ない。
歴史に偶然は無く、
全ては必然のこと。
全ては必然のこと。
物欲まみれの生活をさらすような記事を、
書かんでよかった。
書かんでよかった。
その為の戒めの何かがそうさせたのかと思った。
これからは慎ましく生きねばいかんと思った。
消費は不謹慎かもとも思った。
消費は不謹慎かもとも思った。
反省と感謝の質素な日々がありました。
しかしながら、
いろいろ思った結果、
これじゃいけんと思うようになった。
これじゃいけんと思うようになった。
自粛自粛と、
世間が言えば言うほど、
世間が言えば言うほど、
灯りは消え、
活力は殺がれる。
活力は殺がれる。
経済は滞り、
この国が弱る。
この国が弱る。
使わぬ金は、
無いものと同じ。
無いものと同じ。
世の中を動かせるほどの、
お金を持っちゃいないが、
お金を持っちゃいないが、
例え小額でも、
タンスで眠らせる位なら、
世に出してやらにゃいかん。
タンスで眠らせる位なら、
世に出してやらにゃいかん。
少しでも消費を増やして、
需要を喚起せねばならん。
需要を喚起せねばならん。
行きすぎた贅沢は控えるべきかもしれんが、
購買でも寄附でも、
購買でも寄附でも、
こんな時こそ、
いつもよりお金は使わねばならん。
いつもよりお金は使わねばならん。
被災した人を差し置いてとか、
国難の時に何をとか、
国難の時に何をとか、
わかってる、
わかってるよ。
わかってるよ。
停電もいいでしょう、
倹約もいいでしょう。
倹約もいいでしょう。
必要なことです。
でもね、
国民とは、
この国の細胞。
この国の細胞。
お金とは、
この国の血。
この国の血。
血はめぐりめぐって、
どこかで誰かの糧になる。
どこかで誰かの糧になる。
詭弁だと言う人もいるだろう、
でもまず出来ることからやらねば、
誰がための国か。
誰がための国か。
岩手のものを買おう。
宮城のものを買おう。
福島のものを買おう。
宮城のものを買おう。
福島のものを買おう。
東北地方のものを買おう。
茨城のものを買おう。
千葉のものを買おう。
千葉のものを買おう。
関東地方のものを買おう。
国産品を買おう。
武士は食わねど高楊枝。
襤褸を纏えど心は錦。
襤褸を纏えど心は錦。
美しき誇りを持とう。
眩しい位の希望を持とう。
眩しい位の希望を持とう。
憎むべきは、
貧乏ではなく、
無関心。
貧乏ではなく、
無関心。
思っていても何もせねば、
それは無関心に等しい。
それは無関心に等しい。
この国を守ろう。
この国を信じよう。
この国をもう一度作ろう。
この国をもう一度愛そう。
この国の未来のためにもね。
とか思ったよ、
エラそうに♪
エラそうに♪
森山田