先週ですが、
淡路島に行って参りました。
たいした用事もなかったのですが、親の付き合いということで行ってきました。
「淡路島」。
上方からすれば、阿波(現徳島県)への路、
つまり「阿波路」の島ということだそうです。
更に昔は、「おのころ(自凝)島」と呼ばれていたそうで、
古事記や日本書紀に、
『伊弉諾尊(いざなぎ)・伊弉冊尊(いざなみ)の二神が天上の「天の浮橋」に立ち、
「天のぬ矛」をもって青海原をかきまわし、
その矛を引き上げたときに矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。』
とあるそうです。
海岸沿いを車で行くと遠くに本州または瀬戸内の島々が見え、
何ともいい眺めでした。
島全体の雰囲気としては、本州というよりも四国のような雰囲気がありました。
タイトルにもしましたが、
例の震災以降でここを訪ねたのは初めてでした。
今現在はとてものどかで、落ち着いた感じなのですが、
山肌にはまだその爪痕が残っていました。
(「震災記念公園」もあるそうです。see→http://www.shinkin.co.jp/awaji/018.htm)
自然の力を感じさせられます。
人間がどんなに偉かろうと、身の程も知らずに増長し、自然を支配し文明を築こうとも、
所詮我々はその自然の前にはあがなう術もなく、
呆然とその驚異がおさまるのを、静かに待つだけしかないのです。
ただそれでも人は瓦礫の中から生活をはじめ、街は復興しました。
私の知り合いに大きな被害に遭った方はいませんでしたが、
大きな衝撃として、記憶に焼き付いています。
11年前におこった出来事は我々に何を残し、考えさせたかったのでしょうか?
なんだかよくまとまりませんが、
今年も年に一度くらいは、
この辺のことをまともに考えてみようかなと思います。
byポール
淡路島に行って参りました。
たいした用事もなかったのですが、親の付き合いということで行ってきました。
「淡路島」。
上方からすれば、阿波(現徳島県)への路、
つまり「阿波路」の島ということだそうです。
更に昔は、「おのころ(自凝)島」と呼ばれていたそうで、
古事記や日本書紀に、
『伊弉諾尊(いざなぎ)・伊弉冊尊(いざなみ)の二神が天上の「天の浮橋」に立ち、
「天のぬ矛」をもって青海原をかきまわし、
その矛を引き上げたときに矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。』
とあるそうです。
海岸沿いを車で行くと遠くに本州または瀬戸内の島々が見え、
何ともいい眺めでした。
島全体の雰囲気としては、本州というよりも四国のような雰囲気がありました。
タイトルにもしましたが、
例の震災以降でここを訪ねたのは初めてでした。
今現在はとてものどかで、落ち着いた感じなのですが、
山肌にはまだその爪痕が残っていました。
(「震災記念公園」もあるそうです。see→http://www.shinkin.co.jp/awaji/018.htm)
自然の力を感じさせられます。
人間がどんなに偉かろうと、身の程も知らずに増長し、自然を支配し文明を築こうとも、
所詮我々はその自然の前にはあがなう術もなく、
呆然とその驚異がおさまるのを、静かに待つだけしかないのです。
ただそれでも人は瓦礫の中から生活をはじめ、街は復興しました。
私の知り合いに大きな被害に遭った方はいませんでしたが、
大きな衝撃として、記憶に焼き付いています。
11年前におこった出来事は我々に何を残し、考えさせたかったのでしょうか?
なんだかよくまとまりませんが、
今年も年に一度くらいは、
この辺のことをまともに考えてみようかなと思います。
byポール