診察の日に、先日のフラッシュバックについて医師に相談した。


「ある程度思い出しそうなものや場所は回避してきましたが、今回の様に突然思い出してしまうと自分ではどうにもならないんですが・・・・・」


 そう告げると、


「回避出来るものは回避して、今回の様に予期せずパニックに陥った時に飲むと気持ちが落ち着く薬を何錠かだしましょうか。速攻性があるので、気持ちはすぐに落ち着いてきますよ」


と、医師は言った。

その後で、


「暴露療法というのもあるのですが」


「暴露療法?」

初めて聞く言葉だった。


「ショック療法みたいなものなんですが、あえて嫌な物と向き合ってその時間を計るんです。それを毎日記録して、自分がどのくらい耐えられるようになったかというのを知るんです。もちろん、それをする場合にはお薬を変えたり準備をしないといけませんから、急に始めたりはしないで下さいね。」


嫌なものをあえて見る・・・・・・・。


想像しただけで、背筋が冷たくなった。


「・・・・・・私には、まだその勇気はありません」


「そうですね。気が進まないなら無理にしないほうがいいでしょう。では、気持ちを落ち着かせるお薬だけ何錠か出しておきましょう」


「はい」


 いつも処方している薬に加え、いざという時の切り札的な薬。

私は少し安心した。

もし先日のような事に遭遇したとしても、薬を携帯していれば・・・・。



 先日の一件から、私は少々過敏になっていた。

思い出すのが怖いのだ。


 症状が改善されてきたので、朝と晩に2回飲んでいた薬も夜1回に減らしていた。

だけど今日は朝から薬を飲んだ。

とにかく漠然と不安なのだ。


 不意におこるフラッシュバックに加えて、知り合いに合えば、


「声、随分出る様になったね!」


「で、原因は何だったの?ストレス??」


待ってましたとばかりに食いついてくる。


皆で口を揃えて、ストレス、ストレスと言ってくる。

そうだ、といえば好奇心は満たされるのだろうか?


声が出なくなる=ストレスという知識しかないから、軽々しく面と向かって言い放つ。

もし私がストレスで失声に陥ったとしていたら、そういう言動こそがストレスになるとは想像出来ないのだろうか。


人には触れて欲しくない部分だってある。

どうしてそうも無神経になれるのだろうか?


「原因は・・・・」


と、聞かれる度に、私は一瞬当時の事を思い出す。


だから、思い出してしまいそうで


また声が出なくなってしまうんじゃないかと


怖くなる・・・・・・・。



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 歌のレッスンを始めてから、かなり順調に回復していた私の声。


かなり安定してきたので、自信もついてきた。


 私はもう戻らない、と心のどこかで勝手に過信していた。

だけど現実はそう甘くはなかった。


 レッスンの最中、ダンススタジオのスタッフが舞台に使う小道具の作成をしていた。

器用に色々な小物を次々とリアルに作り上げていく。最初は感心して見ていた。


 軍手をしたスタッフのが電動のドリルのようなもので次々にネジを材木に打ち込んでゆく。

 

 手元に気をつけて・・・・・


そう心の中で呟いた。


私の心臓がドクンと音をたてた。

 

 私の目の前がぐるぐると回りだす。


手・・・・・

軍手・・・・・


 この二つのキーワードが私を過去に呼び戻した。

あの時、軍手の中で見つかった父の親指、血に染まったタオル・・・・・・・・・・・・・


 静かに私は混乱した。

ダンスの先生が私の異変に気づき声をかけてくれた。


「大丈夫?」


なんとか「・・・はい」と答えた。


少しして、今度は先生が私の元に来て腕をつかんだ。


「顔が真っ青よ、どうしたの?少しこっちに来て休みなさい」


私は素直に先生の指示に従った。


「何かあった?」


「軍手が・・・・・ちょっと・・・・」


絞るようにそれだけ伝えると、先生は状況を察したのか、


「わかった、いいよ、大丈夫」


と言って、作業中のスタッフに別の場所でやってもらうように頼んでくれた。

先生は温かいココアを手に私の元に戻り、


「温かい物でも飲んで落ち着きなさい」


と、私の手にココアを握らせた。


 私のせいでレッスンを中断させてしまって本当に申し訳ないという気持ちと、ぐるぐると頭をめぐるフラッシュバックに呼吸が苦しくなる。吸っても吸っても、酸素が身体に浸透していかない気がした。


 ダンスの先生がレッスンに戻ると、心配そうに見ていた歌の先生がそばに来てくれた。

 何も言わずに私の背中をさすってくれた。背中に優しくて温かい体温、両手には温かいココア。

胸がいっぱいになった。


 怖い気持ちと先生方の優しい言動に、私の眼からは涙があふれた。


沢山の子供たちが練習しているのに、私はどうしてこんな所で涙を流しているのだろう?

きっと皆びっくりしているね。

ごめんね。


 だけど、私の身体は私の意志でどうにもならず涙が次から次へと流れた。


すみませんでした。

ありがとうございました。


 そう伝えたいけれど、今日はもう言葉にならない。

あんなに出ていた私の声は、また引っ込んでしまった。


また、戻るの?

せっかく歌えるようになったのに?


後半のレッスンはずっと座って皆の姿を眺めている事しかできなかった。




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 長女が歌を教わっている歌の先生から、ヴォイストレーングをしてもらえることになった。


 週に何回とか、月に何回という取り決めはなく、見られる時にみてもらうといった感じだが、この所週に1度程度みてもらっている。その代り、費用も殆どかかっていない。先生のご厚意で見てもらっている。



 今日もトレーニングに行ってきたのだが、先生の古くからの友人(女性)が来て居た。

先生とは実に20年ぶりの再会だそうだ。


 こちらの女性は先生と同様に歌を歌っていたそうなのだが、やはり一時期失声状態に陥ったことがあったと言う。

シャンソンを歌っていた彼女は、森友嵐士さんと同様に歌を歌おうとすると声が出なくなり、日常会話は出来たという。


 そんな状態が数年続いたが、とあるヴォイストレーニングの先生との出会いがあり、そこから徐々に声が出るようになり今は歌えるようになったそうだ。


 彼女は数年に渡り歌が歌えなくなり、もう二度と歌えないと思ったそうだ。


 それの歳月に比べれば、私は数か月なのでマシだ。


 やはり声にこだわりや思い入れを持っている人ほどなりやすいというのは本当の様だ。



 今日は先生の指導の元、トレーニングを行い、物凄く久しぶりに「芯」のある「声」が出た。

それは一瞬でまだ継続しないけれど、


 あ・・・・・、


 私の声・・・・・・・


久しぶりに聞いた・・・・・・・・。



今までも出てはいたけれど、なんか違う。


くぐもった、芯のない声。


喉元で詰まって、引っかかっていた。


声はどうやって出すのか、どうやって話をしていたのかすら、数か月前はわからなくなっていた。


だけど、またこうやって自分の声を聴くことができた。



取り戻さなくては。


私の声。




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