高校時代からの付き合いがある友人や先輩達もまた、私に元気を沢山くれた。
声が出なくなってすぐに、
「久しぶりに飲み会やらん?」
と言うメールが届いた。
私が仲良くしていた2つ上の男のA先輩からだった。
先輩達とは、子育てに忙しくて暫く合っていなかった。主人もヤキモチ焼きなので、異性の先輩と仲が良いという事はあまり良い顔をしなかったから、余計に合えなかった。
それでも時々メールをしたり、何だかんだと繋がりを持っていたが、飲み会の誘いは数年ぶりだった。
主人も、普段なら飲み会の誘いが来たと言えば不機嫌な顔をするのに、
「行ってくれば?たまには・・・・・。声が出なくても楽しめるなら。ストレスになるならやめといた方がいいけど」
と、私を送り出してくれた。
子供が小さかった事もあって、夜の居酒屋に行くのは6年ぶりだった。最期に一緒に飲んだのも、この先輩達とだった。
数年ぶりに合った皆は、やはり年相応になってはいたが、数年間のブランクなんてすぐに埋められるほど相変わらずだった。
声が出ない事は、当日まで黙っていた。
もしかしたら当日までに出る様になるかもしれないから、言わなかった。
でもダメだったので、メールで、
「ごめん、今日声出ない」
とだけ知らせておいた。
皆は私が風邪か何かで一時的に声が出ないのだと思って、心配したり、声が出ない私のマネをして笑ったりした。でもそれは愛情があるからかいなので、私も嫌な気持ちにならず一緒に笑った。
沢山沢山笑って、お腹が痛くなり、涙が出た。
こんなに沢山笑ったのはいつ以来だろう。お酒の力も手伝って、まさに笑い転げた。
笑っていたら、いつの間にか声が出て居たりしないだろうか?
なんて思ったが、やはり声は出なかった。
「声が聞けなくて残念だったけど、顔見れて良かった。次合う時は声を聞かせてね」
と、皆は言ってくれた。
そうだね。次、合う時は、一緒にお喋りしたいよ。
数年ぶりに合ったのに、話が出来ないというのは寂しい。だけど、私も合えただけで元気がでたよ。
学生時代に戻った様で・・・・・・。
その次回は、意外にも直ぐだった。
前回の飲み会が盛り上がったからか、先輩がまた皆に声をかけ今月もやろうと連絡をくれたのだ。
その後私達は大体月に1度のペースで飲み会を開く事になる。
2回目に合った時、まだ声の出ない私に一人の先輩が、
「この前は笑ってごめんね。まさかこんなに長期に出ないと思わなくて、ほんとゴメン!!」
と、謝ってくれた。
私は掌を降って笑った。
「心配されるより笑ってくれた方が、私も気楽」
口の動きとジェスチャーで伝えた。
だけど、皆が私の事を心配しているのはありありと伝わってきた。
そうだよね、あれから1月経っているのにまだ出ないなんて、不思議に思うし心配するよね・・・。
帰りの電車で、私はA先輩と、謝ってくれた先輩二人に病気の事をメールした。
どういう理由で声が出なくなり、失声症という病気でいつ声が戻るかわからないという事や、通院している事を伝えた。
そして最後に、
「声が出なくても良ければ、また誘ってね」
と書いた。
本当は私は、声が出ないと伝える事が怖かった。
「声が出ないなら誘ってもつまらない」
と、思われたらどうしよう、と思っていたのだ。
けれど、飲み会の誘いはその後も私にも届いた。
しかも主人が在宅している週末でないと参加出来ない私に合わせて、土曜か日曜に飲み会を設定してくれた。
3回目の飲み会に行った時、私は電車の遅延で一番遅れてしまった。
駅に到着した事をメールするとA先輩が待ち合わせの駅まで迎えに来てくれた。他の皆はもうお店に入って居た様だ。
片手を拝むように顔の前にあげて、「ごめんね」と口を動かす。
A先輩は私の姿を確認すると、「こっち」と言って私の前を歩いた。
「いいよ」とも、「遅い」とも言わないけれど、別に気にしていない様子だった。
お店につくと、皆が先にテーブルを囲んでいた。
「お前、そこ」
A先輩が空いた席を指をさす。
頷いて席に着くと、そこには何枚ものペーパーナプキンと鉛筆が用意されていた。
「ここ」が、私の席。
ここが私の場所・・・・・・・。
喋れないんだからペンもメモも携帯しているのに、わざわざ店員さんから借りてくれたらしい。
涙が出そうになった。
だけど、一生懸命笑った。だって皆、私が喜ぶと思って準備してくれたんだから、泣いちゃいけない。
ありがとうね、ありがとう。
話せなくても、何年時が過ぎても、合わない時間が長くても、
ここには私の居場所がある。
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