診察を終え、薬局で薬を処方してもらうと、もう夕方近くなっていた。
次回の診察は2週間後に予約をし、その間薬を飲みながら様子を見る事になった。薬の効き目や副作用の出方は個人差があり、飲んでみないとその具合もわからないと言う事でとりあえず飲んでみて、あまりに副作用の眠気が強く出る様なら量を減らしていきましょうと医師は言った。
父の携帯電話に、
「今終わりました。これから歩いて自宅に戻り、車で実家へ向かいます」
と、メールした。
病院から自宅までは徒歩で20分弱なので、大した距離ではない。実家から車で迎えに来てもらうより、歩いて自宅に戻った方が早い。
自分の車で実家に行き、薬をもらえたと話すと母は安心した様子だった。
精神科で処方された薬を飲む事に抵抗がないといえば嘘になるが、強い薬ではないという事と何かにすがりたい思いで、その日の夜から私は薬を飲むことにした。
夜は感じなかったが、翌朝に薬を飲むと日中とにかく眠い。
外出していればさほど気にならないが、家に居ると眠気に襲われ何も手に付かなくなってしまった。ところが、暫くすると身体が慣れてきたのか、初めに飲んだほどの眠気は感じなくなった。
私は2週間薬を飲み続けたが、声が出る事はなかった。
常にメモ帳を携帯し、お店でも友達との会話でも全て筆談で生活を送った。
周りの人の反応も段々と、
「まだ出ないの?大丈夫?病院は行っているのにまだ出ないの?」
という感じになり、私も曖昧に笑って首をかしげるしかなかった。
声が出なくなって1カ月以上が経っていたがその間に、長女の卒園式や入学式もあった。何とか入学式までに少しでも声が出てくれればと思っていたが、残念ながらその願いは叶う事はなく、卒園式でもお世話になった先生方にお礼を言う事も出来ずもどかしい思いをした。
私はお礼を言う代わりに深々と頭を下げる様になった。声が出なくても「ありがとうございます」と口だけは動かした。
心配なのは子供達が挨拶が出来なくなるんじゃないかと言う事だった。
元気に挨拶をするのがうちの子供の良い所で、それは日々私が元気に周りに挨拶をしていたのを見ていたので教えなくても自然と出来る様になったものだ。それが親が挨拶をしなくなったら、子供もそうなってしまうんじゃないかと不安だった。
子供が危ない時も、咄嗟に声を出して静止させる事が出来ないのも辛いところだ。
長女は平仮名と片仮名が読めたので、大事な事は書いて伝えた。口を動かしながら身ぶり手ぶりも交えると、意外と伝わった。そのうち、よく私が口にする言葉は子供達も唇の動きでわかるようになっていった。
不思議な事に、声が出なくなってからというもの暫くご無沙汰していた友人達から、
「今度遊ぼう」
と言うメールがやけに届いた。
私は病気の事はあって居ない友人にわざわざメールをしていないのに、何故だか
「何で今こんなに皆して?」
と言うくらい、親しい人達からメールが届いた。