翌朝、私達は近くのお店でハンドタオルを買い、そのまま車で実家へ向かった。病院の場所がよくわからないので、姉夫婦の車に先導してもらう事になっていた。

 実家の前に着くと、既に姉夫婦の車が停まっていたので、直ぐに出発することになった。


 土日の面会時間は11時からで、平日は13時からだそうだ。12歳以下の子供は病室内には入れないので、子供達は談話室や病院内の喫茶店等で交代に面倒を見ることにした。


 昨夜ISUで一晩過ごした父は、今日から一般病棟の大部屋に移動している。必要な入院手続きを済ませると、エレベーターで7階まで登り、まずは子供達は男性陣に任せて私と母と姉の三人で一番奥にある父の病室を訪ねた。


 父のベッドは入口を入って一番手前に有った。

 二の腕まで包帯でグルグルに巻かれた左腕は、包帯で上から吊るす形になっていた。左手を置く部分には大きなアイスノンがあり、常に患部を冷やして居る様だ。昨日していたという酸素マスクはもう外されている。


「お父さん」


 母が声をかけると、うとうととしていた父は目を開いた。


「おお・・・・来たのか」

そう言って、私達の姿を見ると、


「皆で来たのか?子供達は?」


「病室に入れないから外で待ってるよ。たっ君達が見てくれてる」


「そうか・・・・・・」

嬉しい様な残念な様な複雑な顔。父は孫大好きなので、きっと顔を見たいのだろう。


「・・・・・・・大丈夫?」

私は重い口を開いた。


 手術をし、ギプスも入っている左手はマンガの大袈裟な包帯の様な状態だった。だけど、親指がないのは包帯の上からでも見てとれる。胸がぎゅっと締め付けられる。


本当に、無くなってしまったんだ・・・・・・・。


「昨日の夜が痛みが酷くて眠れなかった」


 痛み止めを飲んでも、引きちぎられた神経がズキズキと猛烈に痛んで地獄の様な一夜だったそうだ。けれど幸いな事に、父は腕を動かす事が出来た。身を起こし、左腕を吊るしてある包帯を外しこちらを向いて座った。


「動かして大丈夫なの?」


 母が心配そうに聞く。痛いけれど大丈夫だと、父は答えた。痛みと痺れが有る様だ。「痛みは除所に良くなっても痺れはこの先も残る可能性が高い」と、先生が言っていた。


「手、見せて」


母が言うと、父は大きな包帯の左手を差し出した。包帯の先から4本の指先が見える。

 

母がそっと指に触れる。


「これ、わかる?」


「わかるよ」

何を言っているんだと言う様に、父が答えた。感覚はあるらしい。


「動くよ」

父がそう言って、指先を少し動かして見せた。包帯で巻いてあるから沢山は動かせないが、父の4本の指は生きている!


 上腕部から腱が引き抜かれたと聞き、最悪は腕全体が機能しなくなると想像していた私達は心の底からほっとしていた。けれど、切断した際に骨が露出してしまったらしく、骨は感染に非常に弱いそうなのでそこからの感染が心配されていた。今は生きている指や手首も、細菌が感染し壊死してしまったら切断せざるを得ない。不安はつきない。


 薄紫色で腫れあがっている父の指に、そっと触れてみる。

父の手に触れるのは、一体何年ぶりだろうか。

腫れているけど、温かい。

生きている・・・・・・・・・・・。


 生きていてくれて良かった。

生きている内に、温かい手にもう一度触れる事ができて良かった。



 入院に必要な物を備え付けの棚に入れ、テレビカードやイヤホンを準備した。この病院には移動書棚があり、記名さえすれば誰でも自由に病室で読む事が出来た。1週間に一度書棚が入れ変えられるので、読書を好む父にとっては有難い事だった。もっとも暫くはそれ所ではないだろうけれど・・・・・。


「これ、タオル、ナナセが買ってきてくれたから、会社の人が来たらお礼言って渡して」

母が私が買ってきたタオルを引き出しにしまう。


 昨日の手術の際には、会社の社長を初めとする偉い方々が来てくれたそうだ。仕事中の事故なので当然といえば当然だが、誠意のある対応に少しだけ救われる。


「明日も来るからね」


 あまり長く話しても疲れさせてしまうので、私達は病室を後にした。担当の先生に話を聞きたかったが、昨日手術してくれた先生は救急の先生だったらしく、担当医ではないらしい。


 子供達は同じフロアで待っていた。


「ジジは?ジジに合いたいよ~!!」

口ぐちに叫ぶ。


 私の長女と姉の長女は同じ6歳。その下にうちの4歳の次女、一番下が3歳の姉の次女と完全に女系家族だ。

まだ幼稚園児の子供達に状況を理解してもらうのは難しく、静かにしているのも限界がある。子供が居ると病院も大変だ。だけど子供達が居るから、皆考え込んでいる時間を与えられず、救われていたのもまた事実だった。




「おじいちゃんが入院していた時に毎日通った道だけど、20年以上前だから道が変わっちゃって全然わからない・・・・・」


 そういう母に、明日は私がうちの車で乗せて行くことにした。実家の車にはナビが搭載されていないのだ。子供達は姉がまとめて面倒みてくれることになった。姉も免許を持っているがペーパードライバーなのと、旦那さんが平日は仕事で車を使うので3人で出掛ける時は大抵私がドライバーだった。


 私達は病院を後にして、実家に帰った。

 

 昨日は喉を通らなかった食事も、今日は少しとれそうなので皆でご飯を買ってきて食べた。


「この家で一人って、嫌だ・・・・・・」

母がポツリと漏らす。


 騒がしいのが苦手で一人で過ごすのが好きといつも言っていた母だか、こんな状況での一人は望んで居ないに決まっている。実家は広く部屋がいくつもあるので、使っていない部屋や廊下の暗い場所が怖いと、子供の様な事を言った。


 不安だよね。いつも家に居る人が居なくて、この先の事もわからない。


「泊って行こうか?」

私が言うと、


「あんたん家、動物がいるでしょ。子供達も明日幼稚園だし、大丈夫」

何度言っても、母は断り続けた。



 明日は平日なので男性陣は仕事、子供達は幼稚園。専業主婦の私達3人意外は普段の生活に戻る。明日は子供を幼稚園に迎えに行って、母を拾ってから姉の家に向かい子供を預け病院へ向かう。


 事故のショックは大きかったけれど、最悪の事態は回避出来た様な気がする。父の顔を見れて、話せて少し安心もした。


 この時はまだやる事が沢山あって気が張っていた。

母がショックで呆然としてしまっていたので、明日以降に道がわかったとしても車を運転させるのが不安だった。だとしたら、私が代わりに運転する事になるだろう。



 姉が昨夜の事を私に話しだした。


「何も出来なくて、でも何かしていないと落ち着かなくて、ずっと端ミシンかけたりピアノを弾いていたよ」


同じだよ。私も同じ気持ちだった。


「なんかさ、パニくった者勝ちっていうか、先にお母さんがパニくっちゃったから、自分もすごい動揺しているんだけどしっかりしなきゃって思うんだよね。家に帰ったらがくっと来ちゃったけど、たっ君が落ち着いていてくれたから良かったよ」


 私は姉妹がいて本当に良かったと思った。


 子供の頃は一人っ子に憧れたり、ケンカも沢山したけど、やはりこういう時自分一人だったらと考えるとぞっとする。血を分けた姉がいて、姉の旦那さんが居てくれて本当に心強い。私にも主人が居るし、沢山家族が居るから何とかなる気がする。


 怪我が怪我なので父の入院も長期化するだろう。だけど、一人じゃない。家族で力を合わせて行けばいい。





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