事故当日の夜、ぼんやりとしながらテレビゲームをひたすらしていた。
時間の感覚があまりない。疲れているけど眠れる気もしない。主人はテーブルでDSをしていた。
子供が寝てしまった後のリビングでゲーム音だけが静かに響いていた。沈黙の長さが、衝撃の大きさを物語っていた。
私達が帰ろうとして実家の玄関を出た時、大きなビニール袋に入った衣類に気が付いた。
「これ、なに・・・・・?」
「ああ・・・。それ、お父さんの作業着・・・・。会社の人が届けてくれたんだ。お父さん、今は病院着だから・・・・」
母はそういうと、子供に呼ばれたのか部屋に戻って行った。
透明のゴミ袋の中には、見覚えのある父の作業ズボンや靴が無造作に押し込まれていた。
私と姉は顔を見合わせた。
「これ、きっと血がついてるよね・・・・・。お母さん、皆が帰った後に一人で片付けるの嫌だよね」
私が言うと、姉が、
「あるのはわかってたんだけど、怖くて中が見られなかったんだ・・・・・」
「片付けて行こう」
袋を開けるのは私も怖い。
だけど、この作業を母にやらせるわけにはいかない。主人とたっ君は子供達の帰り支度のお世話をしていたので、私と姉の二人で袋の中を片付けることにした。
意外にも衣類には想像したほどの血痕は付着していなかった。作業ズボンやシャツ、肌着に点々と赤い斑点が有る程度で、私達は安堵した。
「血を洗って、洗濯機に入れておこう」
「大丈夫?思ったよりついてないね、良かった。お父さんタオルで押さえてたって言ってたから、そんなに服には付かなかったんだね」
姉も安心した様子だった。
私は血の付いたズボンやシャツを洗い始めた。少量の血痕は石鹸でこするとすぐに落ちた。姉は靴や空になったビニールを片付けていた。
ふと、衣類の中から小さな黒とも茶色ともつかないタオルが出てきた。
つんと鉄の匂いが鼻をつく。
・・・・・・タオル、もしかして押さえていたタオル・・・・・?
この袋の中にそのタオルが混ざっていると思っていなかった・・・・・・・。
「タオル・・・・・、すごい血がついてるけど・・・・・・」
洗面所から声をかける。
「会社の人が貸してくれたタオル押さえてたっていってたから、お父さんのタオルじゃないみたいだよ」
玄関で姉が答えた。
お父さんのなら捨てちゃうけど、人の物なら捨てられないよね・・・・。
とりあえず洗ってみよう。血がさっきみたく綺麗におちて洗濯すれば・・・・・。
後になって冷静に考えれば、捨ててしまえば良かったのだ。そして新しいタオルを買って返せばそれで良かった。だけどその時は、誰一人としてそんな冷静な考えが及ばなかった。
水道水の蛇口の下にタオルを置いて水で流してみる。
タオルからツーーーーと赤い血が流れ出た。水で流しているにもかかわらず、真っ赤な血が筋になって排水溝に吸い込まれていく。こんな小さなタオルの一体どこにそんなに水分を含めるのかと驚くほどに、水で流しても流しても、赤い筋は止まなかった。
手でぎゅっとタオルをもんでみると、強烈な鉄の匂いと真っ赤な鮮血が溢れて一瞬目の前が真っ暗になった。深呼吸して目を開ける。水をザアザアと流しながらタオルを洗う。
・・・・・・・・だけど、
・・・・・・・・・・血はなくならない。
いくら洗っても赤い水しか出てこない。
こんなに沢山の血液が流れたんだ。
真っ赤に流れる、父の血液・・・・・・・。
そういえば、輸血もそうとうしたって言ってたっけ・・・・・・・。
溢れだしそうになる涙をこらえて、平気そうに言った。
「ダメだよ、いくら洗っても落ちないから、捨てるね・・・・・・・・・」
こんなの、誰にも見せられない。
タオルを掌に握りしめて、外にあるゴミ袋にそっと捨てた。
「ありがとうね」
母が私達に声をかけた。
「うん、お父さんの衣類は洗って洗濯機にいれたから、一度洗えば大丈夫だと思うよ。また、明日ね」
そう言って別れた。
ゲーム画面を見つめながら、排水溝に吸い込まれる鮮血ばかりが頭にこびりついて離れない。
「・・・・・・・明日、病院に行く前にタオル買って行こう。会社の人に買って返すから」
タオルについた血液の事を主人にだけ話した。
「ごめんね、血が苦手なのに。俺がやればよかったね」
主人が優しく慰めてくれた。
父は、あのタオルで傷口を押さえたまま救急車を待ち、病院へ搬送された。最初の病院で傷口の消毒だけしてもらい、痛み止めもない状態で次の受け入れ病院が見つからず輸血をしながら時間も救急車の中で過ごしたそうだ。朝に起きた事故で、父が病院に到着し手術をしたのは夕方だった。さぞ長く辛い時間だった事だろう。
明日病院で父の姿をみて安心したい気持ちと、合うのが怖い気持ちとが混ざり合っていた。瞼の裏にはタオルから流れる血液が焼きつき、身体は疲れているのにベッドに入っても寝付けない。
朝目が覚めて、これが夢だったらどんなに良いだろうか。
でもこれが現実だという事はまぎれもない事実で、この悪夢の様な事故と明日から向き合っていかなくては行けない事はよくわかっていた。それでも、夢であってくれたらと願わずにはいられなかった。