何かできるようになったときの笑顔だ。
娘が上手に踊れるようになったとき、
泳げるようになったとき、けん玉ができたとき、ブーメランを飛ばせるようになったとき、
息子が一歩あるいたとき、、、
きっとそういうことなんだ、と確信めく。
子どもたちの笑顔があらわすように、
人生は、ひとつひとつできることが増える
ヨロコビをすなおに感じていく旅なんじゃ
なかろうか、と。
夢はなんですか。
将来どうなりたいですか。
生きがいはなんですか。
ポジティブな問いのようだが、
けっこう苦痛な問いでもある。
ムリヤリ探さないといけないからだ。
そもそも、人は生まれてくるときに、
自ら目的をもって生まれてこない。
俺は、こういう目的があるから、あの母ちゃんから生まれるぞ、
なんていう赤ん坊は、間違いなくいない。
つまり、僕らはそもそも目的などなく、この世に生を受けているわけである。
なのにあとから、夢だ、将来だ、生きがいだ、と要求されていくのだから、
コマってしまうわけだ。
せっかく生を受けたのだから、その使い方は、自分で決めていい。
一個いえるのは、時間は有限であること。
生から死へ、まちがいなく一直線で、時間軸がある。
目的をもたなきゃならんというのは、そもそも人間の本能に反しているから、苦痛であって当然。
それは有限な存在であると知った人間の歴史からくる深い反省、理性のカタマリなのである。
さて、さて、自分は、どう生き切るか。
子どものころ、親はぜったいてきな存在だった。
なんでもわかっていて、なんでも判断できる、そう思いこんでいた。
しかし、違う。
実は、親だって悩んでいる。
そういうことは、親になってわかった。
悩んでいることを、子どもに見せなかったジブンの親って、偉大だな。
そういうことも、親になってわかった。
あたりまえだが、親である前に、大人である前に、人間である。
生きているかぎり、悩みはつきまとう。
そこに年齢は、関係ない。
未来にむかって、書いておこう。







