今回も昔話です。
ちょっと用事で母校の中学を訪れる機会があり、校舎やグランドを見ながら思い出しました。
私達の学年はいつも怒られていました。
前後の学年の方が悪さでは上回っていましたが、私達もまとまりはありませんでした。
学年全体の行事では必ず何人か怒られていました。
すぐケンカが起きてガラスは割れる、病院に連れていかないといけない、の繰り返しでした。
そんな学校で、三年生に上がる前に生徒会の一員になりました。
私はサブとして裏で支える方が合うので会長は辞退しました。
すると何故か保健委員長になりました。
私達生徒会の最初の仕事は先輩の卒業式での送辞でした。
普通は会長が考えて読むのですが、彼女が文章が苦手だったこともあり、私が考えました。
そして実績から、実際に読むのも書記になりました。
そんなこんなで当時2ヵ月ほど会長とその取り巻きに睨まれました。仕事を取ったと。
でも私も読む子も先生に決められ、どうすることもできませんでした。
彼女の悔しい気持ちも理解できましたが、それより先輩をちゃんと送り出したい気持ちが勝ちました。
結果、成功でした。
そんな感じでスタートした最後の年の次の課題は修学旅行でした。
最初に書いたとおり、
まとまりがないので各クラスの代表との会議は進んでも、それがクラスで受け入れられず、問題が起き続けました。
みんなからアンケートを取って決めた目標なのに、守れない。
違反をする子がなくならない。
このままでは修学旅行での自由時間がなくされる、というところまできたとき、私達生徒会と実行委員会の疲れもピークでした。
どうすれば、みんなの気持ちが、目標がひとつになるのか。
最終的に集会を開いて話をしました。
なぜルールがあるのか、なぜ斑行動やクラス行動があるのか、そしてなぜみんながまとまる必要があるのか。
担任の先生は集会の間、何も喋りませんでした。
これで伝わらなかったらどうしよう、という私達実行委員の不安がなくなったのは次の日からでした。
びっくりするぐらい、各クラスでまとまり始めました。
沖縄への修学旅行は成功しました。
ガマの見学中に倒れた子や、ホテルの廊下で注意された子もいたけど、自分達で決めたラインをみんなが守れて初めてまとまれた行事でした。
それから数ヶ月後の文化発表会。
先生は、また私達に試練を与えました。
「172人全員で群読をする」
最初は間に合わないと誰もが思いました。
課題曲と自由曲の合唱コンクールに、私達のクラスは劇。そして群読も加わるなんて、覚えられないと思いました。
私達は沖縄の戦争のことについて現地で感じたことを、各クラスにアンケートで聞きました。
生徒会はそれを集計し、言葉をつなげました。
そして私達は日本国憲法の前文を必死になって暗記しました。
一人が読む文章、女子だけ、男子だけ、各クラスごと、そして全員と細かく分かれていました。
聞く人に伝わるように個人がみんな努力しました。
修学旅行の成功が、学年全体にやる気と自信を与えていました。
いざ本番。
個人のパートからスタートし、全員パートがきて、クラスパート、男女別段パート等と区切りがついたところで、全員で課題曲を合唱。
その後個人や全体などを繰り返し、日本国憲法前文。
最後にクラスと全員で終わり。
あの体育館が震える感覚を今でも覚えています。
大成功した群読は大きな反響がありました。
またひとつ、学年の絆が深まった行事でした。
その後私達は受験シーズンが本格化しました。
長くなったので、この続きはまた次回にします。