研究室のみんなでカラオケに行こう!ということになってます、明日。
しかし僕は風邪を引いてしまった。笑
これじゃ歌えないじゃないか!ノドが痛すぎる。別にみんなの歌聞くだけでも楽しそうだけど、なんかそれも微妙ですよね。
まぁ、寝て起きてもダメっぽかったら断るか…。
その会って、新しく研究室に来た留学生がカラオケイキタイって言ったから、よし!となったものなので、僕も行きたいのは山々なんですけど。
このタイミングでこのノドの痛み…。
なんか行くなってことかな、って考えちゃうんですよね。
僕は霊的なものを信じてる派じゃないですけど、なんかあるじゃないですか。何で今?って思うこと。そういうときは、そのまま、あぁ、そうしろってことかな、と僕は考えることにしてます。都合いいでしょ?笑
でもそれって楽なんですよ。だって、前だけ見てられるから。なるようになれ、とは違うけど、ちょっと楽天的過ぎかもしれないですけどね。
ちなみに、僕は霊的なものを信じない派でもないです。だって、直接的に干渉できない存在だと考えると、いてもおかしくないし、まぁ別に困らないし。
てか、自分でも実感ないけど、なんか僕見える人かもなんです。笑
まぁいてもいいか、とか思うようになった頃から、自分だけ音聞こえたり、匂いしたり、挙げ句自分だけ変な人?みたり…。
自分で区別つかないし、他の人は感じてないから証明はできない。心理的な作用とかで説明はつきそうですけど、それは科学的な意味での証明とは違います。なぜなら、僕が感じたものとその作用の結果とが同じであるという検証ができてないから。というか、直接的に干渉できないなら実験はできませんね。だから存在云々は、科学的には無駄話。少なくともみんなが分かるという意味の客観性は確保できない、一部の人しか感じ取れないのでは。
でもこういう建設的な結論の出ない議論をするのは無駄じゃないと思うんです。過程で、自分達が普段扱ってるモノがどういうモノか考える必要があるから。例えば、科学は検証ができることが前提になっている、とか。これは僕の思う科学であって、違う考え方なら、例えば全てを説明できるものが科学である、とかなら、説明のつかないものは存在しないから、霊は存在しないことになりますね。
他にも、考えている言葉の前提が異なれば、議論の流れはずれていく。こういう意見対立ってかなりあると思います。もっとちゃんと話聞けばいいのに、とか思うけど、でもみんな考えていることが違うからそうなるわけで、人間臭くて面白い。よって、僕は意見対立を見てるのが好きです。笑
えーと、カラオケからなぜこんな話に?笑
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